エッセイをベテラン文化人が書き、レビューを現役記者が書く「普通の雑誌」

1979年1月号から芸術新潮の誌面構成が再びてこ入れされる。芸術雑誌における音楽の扱い、という点では、どうやらこの改編が、今度こそ決定的であったようにも思われる。

1978年12月号で、それまでの中途半端な扱いを軌道修正するかのように、同年秋のコンサートレビューが特設コーナー風にまとめて掲載されて、1979年から、同種の記事は「スターダスト」欄に常設で毎号数件ずつ掲載されるようになる。こちらは匿名で、内容も音楽雑誌にあるのと同等の、いわば「普通の」コンサートレビューである。

そして「オーディオ」というコーナーが新設されて、ここには、音楽家(三善晃など)、評論家(なかむらとうようなど)、作家などの音楽エッセイが載っている。

創刊当時から臨機応変に一線で様々な角度から色々なことを書き、戦後の芸術(音楽)ジャーナリズムを創ってきた大正生まれが退場して(齋藤十一も1981年には現場を離れて新潮社の社長になる)、今読むとあまりに順当過ぎて面白くない「エッセイはベテラン、レビューは(匿名の)現役」という役割分担になったようだ。

音楽評論は吉田秀和がいるだけで、あとは小粒でつまらない、といわれるが、彼の多方面の仕事は芸術新潮という雑誌のそのときどきの方針とかなりダイレクトにリンクしているし、同じことを後続の人たちに期待するのは難しい。そして1979年の段階では、それぞれの人材が身の丈に合った仕事を分業する体制が、むしろ、好ましい新方針と考えられていたのかもしれない。

アイドル・グループが「普通の女の子」宣言をした時代に、芸術新潮という芸術雑誌も「普通の雑誌」を憧れていて、上の世代がいなくなった1979年に、ようやく、その「希望」をかなえたようにも見えるのです。

(1980年前後って、そういう時代だったですよね? キャンディーズの解散が1978年4月4日、山口百恵の引退が1980年10月5日。)