クワイン登場

認識論と論理学を鍛え直そうとすると数学基礎論を参照することになって、その先で知覚の心理学に逢着せざるを得ない。そういうストーリーでクワインが登場した。

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

「ゲーデル問題」(笑)から「他者」論/言語ゲーム論へ、という柄谷行人の文学/批評でおなじみのポストモダンなアイテムが登場しない文脈に数学基礎論が収まっていて、このストーリーはなかなかいいんじゃないかと思った。

「美学」でニッポンの読書界・出版界に打って出る野心を抱いて概念分析とか感性の科学とか言うのであれば、背景にこれくらい骨太のストーリーを背負っておかないとダメなんじゃないか。というより、どうしてこんなにいいストーリー(ポストモダンへの対案)があるのに、自称「若手美学者」は、それを言わなかったのでしょうか。

美学の加速で東大美学研究室と西村清和を偉くしよう、みたいな先般の騒ぎは、結局、人文と自然科学・自然哲学が融合することを望まないケチくさいセクショナリズムだったのだろうか?