オペラの巡業、19世紀南米の音楽と劇場

以前、細川周平先生から、大阪弁で歌うモダニズムといえば笠置シヅ子だろう、というヒントをいただいたことは大変ありがたく、いつか学恩に報いなければと思っていますが、

今度はブラジル音楽についてのお話をお伺いする機会があり、再び色々考えさせられた。

ゴメスが Il Guarany をスカラ座で初演したのは1870年だから、ちょうどプティパがペテルブルクで次々異国趣味の新作を上演したのと同じ時期になる。

1870年代には、できたばかりのパリのガルニエのオペラ座を模してリオデジャネイロにオペラハウスができたとのお話だったが、そういえば、作品コンテンツ、劇場施設だけでなく、イタリアのオペラ団が南米に巡業するしくみがあったはずだと思って確認したら、既に1857年にはブエノスアイレスに初代コロン劇場が開設されて、フェニーチェ劇場での初演から4年しか経っていないトラヴィアータがこけら落としだったらしい。

鉄道が列車と線路と駅を組み合わせたシステムであるように(cf. シヴェルブシュ)、劇場・巡業・作品コンテンツがセットになってオペラやバレエが拡大して、ロシアや南米がそこに組み込まれたのが19世紀後半だったんだなと思う。

劇場ができてようやく本格的な巡業がはじまる、というのは、東京の今のオペラと一緒ですね。(日本が市場に組み込まれるのは、南米から100年遅れたわけだ。)

そしてケークウォークやサンバを聴いていると、舞曲史を半期でやるなら、本当はルネサンス、バロックの宮廷舞踊までで5回、バレエを5回にまとめて、20世紀のジャズ、サンバetcを5回かけるくらいじゃないといけないんだろうなあ、と思いました。課題山積。

(19世紀末から20世紀初頭の「クラシック音楽化」されたケークウォークとサンバは、ほとんど同じようになっている場合もあるけれど、ひょっとすると、シンコペーションをどう和声づけするのか、というあたりから分析できないものか、と思ったりします。)