削る人々

最近ようやく黄色いの(cp3000前後でデンとジムに構えているあれ)をどうにか突破できるようになって、先日は12人がかりで「伝説」を倒す、というのに参加してしまいましたが、ゲームで破格に強いラスボスを連打でコツコツ攻めるのを「削る」と言ったりするようですね。岩盤を掘り進むような感じでしょうか。

(ゲームは、事前の下準備とわざと根性が全部必要になるようなハードルを設定するものなのですね。そのような「総合力」は「人徳と見識を備えた人材」なる伝統的な観念とゲーム論的に等価である、とみなしていいのか、その判断は保留したいですけれど。)

ブラタモリの黒部ダム探訪を視ておりまして、ダム建設/資財輸送トンネルの掘削は、石原プロの映画やNHKプロジェクトXの題材になった「昭和」のシンボルみたいなものになったわけですが、関西交響楽団/大阪フィルをはじめとする関西のクラシック音楽は、安定した電力を得るためにこういう巨大なものを造った関西電力のサポートで成り立っている(いた)んだよなあ、と思いました。

海はすべての生命の故郷で、一方、山は、人が挑戦するターゲット、みたいな言い方ができるかもしれず、朝比奈隆がシュトラウスのアルプス交響曲を十八番にしていたのは、「昭和」らしいことだったのかもしれませんね。

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(発電事業は、「山」(ダム)の水力と「海」(タンカー輸送)の石油の火力の次に「げんしのちから」に手を出して大変なところへ来てしまっているわけですが。)