以前、朝日会館が戦前に出した雑誌を年代順に調べたとき、昭和12年の支那事変で誌面ががらりと変わるの目の当たりにして、「これは無理」とそこで調査を止めてしまいました。私は、戦時中の文化をつぶさに観察する諸々の準備できていない「ヘタレ」なので、山田耕筰を語る資格はたぶんないです。
あと、これは以前どこかで書いたように思いますが、宝塚歌劇というのも、これまでのところ、なかなか積極的に接近する気持ちになれないままです。(阪大からでも、大阪音大からでも、神戸女学院からでも電車ですぐなに……。)
ということで、お題はどちらも、わたくしにとって心理的に遠いものなのですが……、
1960年の大阪国際フェスティバル、作曲者の総監督、実質上の指揮者は朝比奈隆という座組で山田耕筰「黒船」が上演されたときには、演出が白井鐵造、芸者のお松で加茂さくらが出たようです。
アメリカ領事は、アリゴ・ポーラ(のちにパヴァロッティの師匠として有名になる彼は藤原歌劇団の招きで日本にいたんですよね)と、我らが関西歌劇団の木村彦治(大栗裕「赤い陣羽織」の初代おやじを演じた人)のダブル・キャスト。攘夷家の吉田は、二期会のホープ、立川澄人と、これまた我らが関西歌劇団の楯了三さん(武智鉄二演出の伝説の「お蝶夫人」に出演し、大栗裕の歌曲を初演し、音楽物語「ごん狐」や歌劇「飛鳥」の初演に参加)のダブル・キャスト。
伊藤京子さん(もちろんお吉)や、東京藝大の柴田睦陸先生(なんだかたくさん役を兼ねていて、忙しそう)がご出演なのはもちろんのこと、岩尾良治(関西歌劇団に最初期からかかわる歌手でありつつ、朝日放送に開局とともに入社して、最晩年の大澤壽人の音楽番組のプロデューサーだった人)も出演しています。舞台監督は、のちに大栗裕の「飛鳥」以後の歌劇で脚本and/or演出を手がける菅沼潤さん(白井鐵造の愛弟子)。
当時の国内各団体合同というか、挙国一致というか、五族協和というか、満漢全席というか、そういうところに、宝塚歌劇団がしっかり入っております。
山田耕筰は、とにかく全部をひとつにしたい人で、初演時だったら杉村春子が出ていて、今回は朝比奈くんと朝日新聞が、そんな山田先生にふさわしいものとなるべく頑張ったんでしょうね。見ているだけでお腹いっぱいになる配役表です。
それぞれの出演者の来歴を述べよ、とか、「音楽学特殊講義・日本歌劇史(半期2単位)」(←架空)の格好の期末試験問題かもしれません。(あるいは昭和音大オペラ研究所の入所試験問題とか……。)
なお、オーケストラは「関西交響楽団」となっています。 1960年4月15、16、17日の公演です。翌月から同団は大阪フィルハーモニー交響楽団と改称しますから、「関響」としては本当の最後の大仕事だったのかもしれませんね。
1960 Osaka International Festival, Osaka, Japan
Japanese opera "Black Ships" in 3 acts, story by Perey Nael, music by Kosçak Yamada
festival hall, April 15, 16 & 17, at 6.30 p.m.[公式プログラムには公演名の日本語表記がどこにもありません。これが日本の「国際化」!]
- お吉……山田真梨子(15、17)、伊藤京子(16)
- お松……加茂さくら
- 姐さん……栗本尊子
- 吉田……楯了三(15、17)、立川澄人(16)
- 領事……アリゴ・ポーラ(15、17)、木村彦治(16)
- 書記官……柴田睦陸
- 伊佐新次郎……伊藤亘行
- 町奉行……栗本正
- 第1の浪人……三好敦彦
- 第2の浪人……立柳雅義
- 第1の幕吏……岩尾良治
- 第2の幕吏……小西一郎
- 第1の飛脚……窪田 謙
- 第2の飛脚……安岡雄馬
- 船頭……柴田睦陸
- 盆踊りの唄……柴田睦陸
- 合唱……大阪音楽大学オペラ専攻科・相愛女子大学音楽部・新月会・関西歌劇団・宝塚歌劇団・関西学院グリークラブ
- 管弦楽……関西交響楽団
- 指揮……山田耕筰(15、17)、朝比奈隆(16)
- 演出……白井鐵造
- 歌唱監督……柴田睦陸
- 合唱指揮……木村四郎、林雄一郎、林達次
- 音楽助手……井町昭
- 振付……藤間勘八郎
- 美術……石浜日出雄
- 衣装……小西松茂
- 小道具……生島道正
- 照明……今井直次
- 舞台監督……菅沼潤
- 舞台制作……梅田舞台株式会社
- 衣装制作……松竹衣装株式会社
- 制作……日本楽劇社