はびきの市民大学第4回で大栗裕と戦後関西の仏教洋楽のことをご紹介させていただきました。
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20091114/p1
断片的な情報を中途半端に公開して誤解を招くことは、ご協力くださっている研究者・関係者にご迷惑をおかけすることになると思うので、ここでは、講座でお話したなかから、「なぜ大栗裕は仏教に接近したのか?」という概説部分のみをご紹介させていただくことにします。
(他には、1961年初演の管弦楽のための組曲「雲水讃」について、色々具体的に解説させていただきました。これは、情報を整理して別途、文章にまとめようと考えています。)
明治の唱歌研究でも、文部省唱歌とキリスト教だけでなく、仏教聖歌(現在は仏教讃歌と呼ばれる)などが注目されつつあるようです。仏教洋楽には、実は山田耕筰以来、著名な作曲家も多く関わっています。仏教洋楽は、近代日本音楽研究のホットなテーマのひとつと言ってよいと思います。
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しかも、大栗裕は1964年から本願寺系の京都女子大の教授でした。今現在も日本有数の規模で活動がつづいている本願寺さんのご理解・ご協力なしには、大栗裕と仏教の関わりの全貌を把握することはほぼ不可能です。
(ちなみに、京都女子大校歌は山田耕筰の作曲です。山田耕筰当人は、同じ本願寺系の相愛大学の音楽学科/音楽学部に創設から関わっています。)
私も、ご専門の研究者・関係者に色々教えていただきながら、勉強を続けている最中です。
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●「ようし、一ちょ、やったるか」
大栗裕がデビューを飾った2作品、「赤い陣羽織」(1955)と「大阪俗謡による幻想曲」(1956)は、関西歌劇団創作歌劇シリーズや朝比奈隆のベルリン・フィル出演という当時の関西楽壇の大事件の一部であり、「朝比奈一座」がヘゲモニーを握る過程や、関西楽壇を中央(東京)のジャーナリズムに認知させる効果など、戦略的に仕掛けられた「文化イベント」の側面を無視できないと思います。
いわば、派手な打ち上げ花火。「赤い陣羽織」第2場のおやじの台詞を借りれば「ようし、一ちょ、やったるか」の精神です。
派手な打ち上げ花火によって「関西」が全国区ジャーナリズムに浮上するパターンは、その後も繰り返され、そのことが「関西は派手好み」というイメージを植え付けることにもなりました。
吉本興業は、そんなイメージを積極的に活用してブランド化した企業なのかもしれませんね。
大阪を学問する、というときに取り上げられるのは、たいていこの路線です。
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●補足:「松竹」的なもの
でも、「朝比奈一座」は、必ずしも打ち上げ花火一筋だったわけでもなさそうです。
やや脱線します。
関西以外の方には伝わりにくいかもしれませんが、関西芸人が全員「漫才のよしもと」所属なわけではありません。さんま、紳助、ダウンタウン、ナイナイ以下、今も全国ネットの看板番組をもって、上記の社会学的な「お笑い」論の対象になっている方々はほとんどが吉本興業ですが、
タモリや明石家さんまにイジられる笑福亭鶴瓶さんは松竹芸能。町山智浩氏と一緒に東京ローカル深夜テレビでカルト映画の番組をやっていると伝え聞く松嶋尚美さんもそうですね。
松竹は、東京だと歌舞伎とレビュー(SKD)と小津安二郎ということになるかと思いますが、
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大阪で松竹芸能といえば、人情に訴える口説きが芸の土台にある藤山寛美さんですし、さらに遡ると、松竹が芝居小屋を独占するようになる大正期の上方歌舞伎の大看板で「河庄」の頬被り姿がトレードマークだった初代中村鴈治郎。
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「大阪の松竹」には、瞬発力でドカンと客席を沸かせる吉本興業のモダンなシティ・ボーイ風とは違う道頓堀の芸道のイメージがあるように思います。
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朝比奈さんを支えた一回り下の人たちの雰囲気に近いのは、ヨシモトよりも、むしろ「松竹」じゃないかと思います。(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100127/p1)
これは、河内の漫才を近代化したヨシモトとも、花登筺ドラマや泉州の日紡貝塚バレーボール・チーム(=東京五輪の「東洋の魔女」)のど根性とも違う、大阪商家の旦那衆文化の系譜なのかもしれません。
(武智鉄二が初代鴈治郎の芸風を嫌って、ストラヴィンスキーの冷徹なモダニズムに傾倒して、若かりし頃の三代目(現・坂田藤十郎、当時は扇雀)を武智歌舞伎で育てる、といったねじれがあり、どうやら関西の芸道には、「型の伝承」で捉えられないところがありそうですが。
そして、私自身も本物の大阪人ではありません。
ヨシモト的瞬発力やナニワのど根性(=一見泥臭いように見えて、実際は東京との差異を強調する演出でそう見えているにすぎず、近代の向こうへ起源を遡ることのできなさそうな事柄)ほどストレートに理解できているとはとても言えず、大阪の、そこへ還元できない何かがあるらしき気配がだんだん感じられてきた、というのが正直なところですが……。)
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それはともかく、
●打ち上げ花火から内省へ
大栗裕の創作には、1960年前後に、「打ち上げ花火から内省へ」と形容できそうな変化が認められます。
当時から、大栗裕の音楽には「表面的」とか「(音楽的な)内容が乏しい」という批判があり、歌劇「夫婦善哉」発表の翌年の「音楽芸術」には、まるで公開反省文のような大栗裕本人のエッセイが掲載されました。(どうしてこのタイミングで、「音楽芸術」に大栗裕への寄稿依頼があったのか。公開反省文のような内容がポツンと載って、その後一切フォローなしなのはどういうことなのか。釈然としないエッセイではあるのですが。)
1950年代末頃から、能や民俗芸能に取材した作品が続くのとほぼ同時に、念仏や御詠歌が作中に出現することが多くなります。そしてこれらの素材は、用いられたテクストの内容や自作解説を手掛かりにして、「内面的」に意味づけることができるものになっています。
1963年の毎日放送芸術祭参加作品、辻久子の独奏で放送初演されたヴァイオリン協奏曲は、このような「転向」を経たあとの作品です。
●座長指揮者のブルックナー
朝比奈隆のほうはどうでしょう?
朝比奈隆は最後まで舞台・ステージの人(いわば「役者」)であり続けて、「私的な内面」と言いうるものを外にはっきり見せることは最後までなかったように思います。(片山杜秀さんの解釈によれば、朝比奈隆は「日本の私」を突き抜けた「無国籍」。)
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しかし「内面化」とは違いますが、朝比奈隆のレパートリーがドイツ系交響曲(ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー)に収斂したことは、意図的なのか結果論なのかはさておき、派手好みの打ち上げ花火、という批判を封じる役割を果たしたと言いうるのではないでしょうか。
しかも朝比奈の晩年の「売り」になったブルックナーは、カトリック教会抜きには考えられない音楽家です。
大栗裕の仏教と、朝比奈隆のブルックナーは、それぞれの立場での、関西派手好み批判への応答の役割を果たしたというのが私の解釈です。
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●聖と俗の混淆
そしてこのとき注目すべきなのは、私の考えでは、大栗裕における仏教も、朝比奈隆におけるブルックナーも、「政教分離」風に聖と俗とを整然と区画していない、聖と俗とが混淆しているように見えることです。
大栗裕の音楽は、俗世にまみれた人間が、汚れを削ぎ落として聖なる領域で救済される、というキリスト教芸術にありがちな世界観にはなっていません。朝比奈隆のブルックナー演奏も、ステンド・グラス風のポリフォニーや清澄なオルガン・トーンといった典型的な「教会音楽風」を作品から整然と切り出すスタイルではありません。
こうした聖俗混淆への一番簡単な説明は(ありがちな論点ではありますが……)、ひとまず、
大栗裕については、神仏習合も大寺院も民間信仰も、すべてが今も生活にいきづいている関西の風土、
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朝比奈隆については、京大美学、植田寿蔵の名前を片山杜秀さんが出していらっしゃったように、彼が学生時代に触れていたに違いない、ヘーゲルと禅が一緒くたの「京都学派」の哲学伝統(晩年の松下眞一がそこから異形の思考をつむぐことになるような)を召還することになるかと思います。
このような説明でいいのかどうか、結論を出せるだけの知識と準備は、今の私にはまだありませんが……。
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前に指摘した1970年代の大栗裕の大阪言葉の「唱え旋律」は、60年代の仏教への傾倒の先に見出された、と私は考えています。
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100120/p1
大栗裕と仏教というテーマが、昭和生まれの前衛の人たちの、梵鐘をフーリエ解析したり、琵琶と尺八で異界を招き寄せたり、呪術的なオスティナートへ沈潜するのとは違った何かに気づかせてくれるのではないかと思って、勉強を続けております。
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