父親はリハビリが視野へ入ってきて、なんとか大丈夫そうでホッと一息。この1ヶ月に、八尾と茨木と仕事の現場を往復しながら読んだ本などの整理をしております。
- 作者: 末木文美士
- 出版社/メーカー: 新潮社
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末木文美士先生は東大を退任して京都の日文研へ移ってから、死者と他者とか、なんだか山折哲雄に似てきた感じですが、
- 作者: 末木文美士
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それでも『仏典を読む』の大無量寿経の章、大乗=浄土教仏典には「他者」が装填されている、という指摘は大事かも知れない気がします。
原始仏教で釈迦に倣って修行に励み、瞑想すると、その先に「空」の思想が出てきて、禅になったりして、
日本にキリスト教が伝来したときにも、絶対者の創世神話を持っているキリスト教の立場から、仏教は無の宗教だ、という批判があったようです。
- 作者: 末木文美士
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また逆に、「空」と「無」だからこそ、神は死んだ、の20世紀の西欧のインテリが仏教(主に禅)に関心を寄せる契機にもなったようですが(ケージが禅を言い出したのは、偶然性を後付けで説明するためであったと見る方がいいらしい)、
http://ooipiano.exblog.jp/18674958/
末木先生は、現世(娑婆)の仏は釈迦ひとりで、しかも彼は既に死んでしまったけれども、大乗は、現世とは別の世界で法蔵が世自在王仏に師事して悟りを開いて阿弥陀仏になった、というように多元世界論で、しかも、今は阿弥陀様が他力の誓願を立ててから五劫の時を経て、阿弥陀様のいる安楽国は十万億土を隔てたところだ、というように、時間的にも空間的にも、とてつもなく遠い存在であるところが大事だと言うのですね。(それに対応して、阿弥陀様は、無量長寿であり、十万億土を隔てた現世をあまねく照らす無量光の仏だということになっている。)
これがすなわち「他者」である。そして、のちに大乗は修行による「さとり」、および「空」の思想と結び付いて、多元世界や仏というのを心の問題(現代風に言えば、想像力の産物)と見るようになるけれども、中国や日本の浄土教の善導や法然は、具体的に西方を指さし、そこに仏の姿を思い浮かべることが大切なのだ、と言っていたらしい(「指方立相」と言うそうです)。浄土の阿弥陀様は、抽象ではなく具象なんですね。
部屋の電気を消して、瞳を閉じて電子音楽のレコードを聴く、という風に他者を消すのではなく、上町台地の崖の上の四天王寺の西の門から日没を眺めて、あそこだ、と思念する日想観ですね。(説経節の俊徳丸から浄瑠璃「攝州合邦辻」の背景にもなっていて、とっても大阪アースダイバーな感じです。)
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さて、しかしそれとは別に、スーザのエル・カピタンというマーチが1898年の米西戦争のときの国威発揚に利用された、とする論文があるらしく、合州国は「モンロー主義」と言いながらハワイを併合して、ペリーの黒船が日本へ来て、この98年の戦争でフィリピンを獲得したのだから、太平洋(アメリカから見た西方)にはどんどん進出しているじゃないか、と思いまして、
改めて調べると、「モンロー宣言」というのは、合州国がヨーロッパへ進出しない、というだけの話だったようですね。
そこで、欧米で使われている世界地図を連想してしまいました。南北アメリカ大陸が地図の一番左にあって、日本が地図の一番右にあるやつです。
考えてみれば、あの地図は太平洋が地図の左と右に引き裂かれて、視野の外部へ押しやられているんですよね。いわば、世界地図の「圏外」です。
日本が「西方」ではなく、東の海の向こう側を強く意識するようになったのはこの150年くらいのことで、中沢新一には、ベルリンの壁崩壊に便乗してロシアと東欧を考えよう、と主張した『東方的』という本(楽天的なオカルトとニューアカが入り混じって、なるほどこんな風に脇が甘いからオウム真理教を擁護してしまったのだな、と思わされる)がありますけれど、
- 作者: 中沢新一
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文明は西の方にあって、東からやって来るものは禍々しく危険である、という感覚は、どれくらい妥当するものなのでしょうか?
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さらに話が飛びますが、相変わらずディアギレフのバレエ・リュスのことは色々調べ続けておりまして、
とりあえずその出発点に、パリへ東方の文化が乗り込んでくるオリエンタリズムがあったのは間違いなさそうですけれど、調べていくと、「春の祭典」に顕著な原始主義は、必ずしも主力商品というわけではなかったようですね。
バレエ・リュスは基本的に「本物志向」で、ロシアの風物でも、スペインものでも、イタリアものでも、現地取材して舞台を創っていたようですが、考えてみれば、古代ものは、現地取材のやりようがないんですよね。(そして「春の祭典」にはレーリヒというオカルト学者が参加している。)
一般に、古代を幻視しているかのような感覚は、原理的には、現在の常識との差分を拡張することで成り立っているのだと思います。
ドビュッシーは教会旋法や特殊音階(ペンタトニックや全音音階)で太古を暗示しようとしましたし、ストラヴィンスキーのハルサイは、複調と不規則なリズム、あるいは、頭の中がカラッポであるかのような機械的反復で剥き出しの野蛮を演出しているわけですね。
前にも書いたことがあると思いますが、オルフの描く「古い世界」は、時代考証などほとんどなく、現在の常識との差分のカタログみたいなものになっているように思います。
そしてこういう手法が成功するためには、「常識」がちゃんと広まっていなければならない。
日本で言えば、「坂の上の雲」を目指していた明治や大正ではまだ無理で、日本は一等国の仲間入りしていると(少なくともインテリの間では)信じることのできた昭和の時代だったから、伊福部昭や大栗裕が出てきたのかなあ、と思います。
しかも、伊福部昭は最初からそういう感じですが、大栗裕が「古代」を幻視する作風になるのは、実は1970年代の最後の10年間だけなんですよね。朝比奈・大フィルがベートーヴェンやブルックナーの演奏で一定の成果を出すようになるのと、大栗裕がまぎれもなく「土俗的」になるのは同時期です。
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この話にオチはないのですが、オカルト的な多元世界や野蛮な土俗性は、平和で洗練された文明化を前提しており、その逆ではない、ということは言えるのかもしれません。これらは、Common Practiceの普及に伴う不可避の副作用のようなものかもしれませんね。
近景・中景・遠景がなければ西欧流のパースペクティヴが完成しないように、Common Practiceは、そこから外れるものを未来と過去へ振り分けることで歴史を完成させる。そして西欧流パースペクティヴへ回収されることを良しとしない絵画表現が20世紀に登場したように、Common Practiceに外れるのみならず、これとワンセットの歴史観(過去や未来)へ振り分けられることを拒む音楽が20世紀には試みられていたはずです。
そしてそういう試みを捕捉するためには、単にcommon Practiceからの逸脱(いわゆる「新しさ」)を指摘するだけでは足りない。ルールと逸脱で「表現」を解析しようとする知覚論や心理学にもとづく20世紀藝術論が退屈なのは、そこだと思います。
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大阪市音楽団のネーミング・ライツを買った会社は、吹奏楽の楽譜を出しているところなんですね。なんと申しましょうか、それは、企業の文化支援というより、宣伝に限りなく近いような感じは否めないような……。
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