個人と集団

西欧は個人主義の社会で日本は集団主義の社会だ、という言い方はあまりされなくなったけれど、「西欧の政治家が当然のように学位を取得している」というのが本当なのだとしたら、それは、個人がスキルアップのために大学で何かに取り組む時期をもつ、ということで、一方、日本の学位がそういう風に意味づけられていないというのは、大学院改革によって、むしろ、学位が大学や学会といった組織・集団へのパスポートの意味合いを強めて集団主義を助長している、ということではないだろうか。

最近、コンサートの主催者が招待状の出欠の問い合わせに必ず「所属」なるものを書かせるようになりつつある。どうやらコンサートというものは個人が己の耳で聴く場ではなく、何らかの経済原理に従って、座席をしかるべき「団体」に割り当てるほうが合理的である、ということになっているらしい。

「音楽の国」に参入して卓越した個人を輝かせるのだ、という理念が、この島では、むしろ集団主義の体の良い口実になっているように見える。

追加:

日本人の気質は西洋人とは違う、というような雑な話をしたいわけではないので、とりあえず、タイトルの個人主義、集団主義から主義を外した。