世界史のなかの西欧音楽

学生さんたちのレポートを採点しながら、現在のグローバルな情報ネットワークの海を検索ツールでサーフィンしながら「クラシック音楽」(東アジアのひとたちが20世紀後半に参入しようと夢見た「音楽の国」ですね)について語ることは極めてお手軽簡単なことだけれど、だからこそ、20世紀に形成されたこの観念を解体して、ヨーロッパの音楽の歴史を語り直す方法をきちんと教えなければいけないと思う。

「古代」が存在しないヨーロッパ亜大陸(大西洋に突きだした、いわば大きな半島ですよね)で中世に成立した音楽文化は、最初から東や南のより進んだ文明(たとえば楽譜という「紙の文化」はヨーロッパに外から伝わったと考えたほういいですよね)の肩の上に乗っているし、大航海時代=近代の躍進や植民地と連動した勤勉革命(産業革命)は上手に「外部」を利用していたし、20世紀にヨーロッパの音楽文化がグローバルな「クラシック音楽」に変換・昇格する過程では、ロシア東欧とアメリカ(そして東アジア)の役割を見逃すことができない。

もはや「世界の中心」という観念など持ち合わせていない現役の伝承者たちが肩の荷を降ろして音楽に取り組むためにも、21世紀の西洋音楽史が要ると思う。

バーンスタイン(「パン・アメリカ」の申し子は晩年に「パシフィック」の理念を打ち出した)と大栗裕(「大阪のバルトーク」といういかにもヨーロッパを仰ぎ見るかのようなレッテルを最後の10年で乗り越えた)の生誕100年、というのは、そういう構図をくっきり描くのに悪くないタイミングかもしれませんね。