2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

自動車の騒音、自転車の横暴

街中でPを遊ぶのはとても疲れる。この島の「街」は、中心部まで自動車が乗り入れて絶え間なく走り続けているので、とにかくうるさいし、空気が悪い。歩行者は狭い歩道に追いやられている。しかし、それじゃあ歩道にいれば安心かというと、前からも後からも、…

伝令とPTSD

前回のサスケの場面から、たぶんそういうことだろうと思ってはいましたが、関ヶ原を活劇として画面上で演じないのは、有働さんのナレーションで始まるこの連続ドラマの形式と連動するその論理的な帰結だろうと思う。いわゆる三統一の原理を愚直に維持しよう…

現地に赴く

蓮實重彦は、観たい映画があればどこの街でも映画館に足を運ぶ人だったのだろうと思うし、こういうときには、「大学教授」とか「文芸評論家」とかいう肩書きとは関係なく我々が「アジア人」の類型に収まる人種なのが有利であったりするかもしれない。北米に…

愚鈍と悪態

先述の cp10、下限へのぼうけんだが、初心者がいきなり極限値を求めるのはハードルが高かろうと思い、頭の上の数字が2桁のPを手元に大切に保管することにする。博士(とりわけ凡庸ならざる特異性を優先しがちな悪しき「人文」)に頼らないもうひとつのルート…

Bloody shared singularity

漆黒のツルツル(セブンですか?)のCMを見ていると、"most singular design" という言葉が聞こえて、ほう、singular (単独性)にも、more/most や less/least といった比較が成立するのか、宣伝広告というのは言語を拡張するパワーを発揮するのだなあ、と…

下限を極める

もしかすると、cp10で142種コンプリート、というのこそが、このゲームでは超絶に困難な究極の不可能性への挑戦なのではなかろうか? 進化とハイスコアに背を向けた総天然ロイヤルストレートフラッシュの夢。すべてハイパー1球で Great に仕留めるのが望まし…

純愛

「私は、純日本産で、なおかつ万国共通に通用するものに関わりたい。それこそが、そしてそれだけが、男子の一生を捧げるに値する私のピーチ姫なのである。」こうですか?ピーチ姫「きもちわるい」(音楽は既にお姫様候補から落選している。浮世絵様をご神体…

江戸と西洋

広重の大胆とされる構図は、単なるローカルではなく、西洋絵画の遠近法を彼なりに摂取した成果とされているらしいのだが、そういうのは、日本のローカルをグローバリズムと対立させたい人にとっては、見たくない不都合な真実なのだろうか。三曲合奏(純器楽…

流れる文字

楽譜の校正作業をしていて気付いたのだが、accel. とか、pizz. とか、espressivo とか、という風に楽譜に添えられている文字たちは、紙の上に固定されてはいるけれど、楽譜というのは演奏しながら順番に読んでいくので、奏者の視線としては、「流れて」いる…

ゲーム内の時間とゲーム外の時間

Pは定刻に出現するので時報に使えるなあ、と私は思っているのだが、このゲーム内の想定としては、Pがいつ出てくるかはランダムである、ということになっているようだ。つまり、現実世界のいわゆる「物理的時間」(時計的時間)は、ゲーム内の時間(ゲームを…

戦法としての多様性と効果としての多様性

近所の競技場に、いまは全部、龍の第三形態が君臨している。そろそろ飽和して皆さんたどりつくところへたどりついてしまったのかな、という感じがしますが、P は、おそらく、相互の得手不得手を相殺し合う多元的なジャンケンのように設計されているんですよ…

浮世絵にも輸出用のローカライズがあったのですか?

増田氏の思いつきに乗せられて、ゲーム研究者がうっかり、日本のゲームは既に「浮世絵化」している、と断定してしまっているが、徳川時代の浮世絵は、現代のビデオゲームのように、輸出を前提に生産されるに至っていたのだろうか? もしそういう事実があるの…

いわゆる「中の人」の気持ち

いずみホール公式ツイッター ‏@Izumi_Hall 51 分51 分前 【批評掲載】15日付朝日新聞夕刊に今月3日の《ドン・ジョヴァンニ》の公演評が掲載されました。評者は能登原由美さんです。ぜひご覧ください。お取り上げいただきありがとうございます。 いずみホール…

日本音楽史と日本ゲーム史

[追記:ヴァナキュラーは方言ですね。恥ずかしい勘違いでした、が、本筋の話はこのまま通ると思うので、そのままにします。ヴァナキュラーなものは、「ある」けれど「自覚」されない。自覚するのは、むしろ、インテリのほうだと思う。そういうミクロな視点で…

分身と幽体注入

漢語にすると仰々しいが、要するにビデオゲームのアバターとアニメーションである。アイコンがシンボルであると同時にオブジェクトだ、という指摘は、やはりその先に何かあるんだろうなあ、と昨日から考えている。(1) 液晶画面の3D描画をしかるべくプログラ…

通りすがる存在たち

2頭並ぶと清々しいですね。拡張された現実においても拡張されない現実においても人工物が林立する街中ですが。そして「彼」は、肩に乗ったのち、自ら見つけたアメの力で第二形態に移行した。(地球という巨大サイコロに振り回される(あそこにいくと○○が出や…

比較文化論のために

日本発の現象が欧米で関心を持たれて、彼らが熱心に語り始めるようになったときに、日本人が「蚊帳の外に置かれた」と卑屈にメゲル必要はないと思う。何故、彼らはこの現象をかように好むのか、ということを語りはじめる絶好の機会ではないか。ジャポニスム…

唱歌カンタータ

海道東征は1940年にSPで頒布されたときにポケットスコアが付いていた。前に入手していたので、これを見ながら山田和樹を聴いているのだが、いい演奏ですね。第3曲など、東京音楽学校様式の和声を学ぶ恰好のお手本になるのではないだろうか?「海道東征」信時…

0.39mの相棒

要するに博士に頼らない進化・強化が可能になったということね、と機能・効率の観点からわかったつもりになっていたのだが、プレイヤーの分身と並んで表示されると「大きさ」が可視化されるんですね。0.39mというのは、なるほど人間の膝くらいの高さなのか、…

虚実の作者

実学は有用性で推し量られ、作者を問われることがない。虚学はそれ自体で自律した作品を志向してしまい、作品の向こうに作り手・作者が構成されてしまう。そして虚学に飽いたアカデミズムのランボーが砂漠へ消える、とか。

人間の声

父が亡くなってから、ほぼ毎日、私は用事がなくても一人暮らしの母に電話を入れる。妹もそうしているようだ。デモにかまけて学会の仕事を半ば放棄してしまった増田聡が、プライベートな携帯を鳴らさないとつかまらないところまでいってしまったことは記憶に…

研究の作家性

私は、少なくとも今はもう、研究にそういうこと(作家性)は求めない。作家性の付加価値って、なんだか後進国っぽい気がするんですよね。研究における「作者の死」。

「玉姫殿」な音楽

この業界に20年いれば、結婚式場の音楽に関係している知人(や知人の知人)は当たり前のように複数いて、内情はおおよそ見当が付くので、そのネタ話は大して面白くない。(結婚式の音楽演出はほとんどの場合、そこに出入りする個人やイベント会社に丸投げさ…

学術発表の事前非公式検閲を推奨する学会とは?

妙な話なのでそのうち補正されるだろうと思っていたのだが、その気配がないのでここに書いておく。日本音楽学会の全国大会の発表にエントリーした者には、一斉送信で次の文言を含むメールが届いているが、これは何なのだろう? なお、各発表者におかれまして…

シャルパンティエと服部隆之

大河ドラマの1年分の膨大な数の劇伴はスタジオミュージシャンが演奏しているが、タイトルバックのテーマ音楽だけはNHK交響楽団が担当する。戦国武将たちがここ一番でハロウィンの仮装のように仰々しく派手派手しい甲冑を身にまとうのに匹敵する晴れ舞台であ…

独立採算制

私は次の学会全国大会に行くが、日帰りのつもりである。宿泊費や懇親会費を出す余裕はない。ふと思ったのだが、いい発表を揃えて質を向上させたいのであれば、 発表者には旅費・宿泊費を全額支給 スタッフには適正な賃金を支給 というのを原則にして経費を算…

互選というゲーム

ちなみに、日本音楽学会の現行の連名式の委員選挙は、投票率や当選の票数を考えると、とうていゼロサムの囚人のジレンマ状態にはなっていない。仮に、「この人はちょっと……」という人物が当選してしまった場合に、その状況を変えるための戦略を立案し得るユ…

「囚人のジレンマ」

「今やワシは天下統一を成し遂げた。オヌシもワシに従うのが身の為じゃ」囚人のジレンマというゲーム理論のタームが、日本のゼロ年代的リア充界隈では、このような他者支配を正当化する意味(長いものには抵抗しないで巻かれたほうがいいよ)に翻案して流通…

話の出発点がズレている

私は山田和樹の話をしているんだけど、あなた、山田和樹を知らないし、聞いたこともないでしょ。それじゃあ、話はかみあわないよ。リズムを規律と捉える考え方があって、この考え方を成り立たせるために、音程・ピッチのほうも「絶対音感」というもうひとつ…

神に傅く

ナクソス島のアリアドネ2日目。並河寿美のギリシャ彫刻のような立ち姿を中心に据える見事な舞台でございました。喜劇役者たちが歌い踊る背後で静止し続けるのは、兵庫芸文の蝶々夫人の間奏曲で障子越しに彼女のシルエットを映したのを彷彿とさせたわけですが…