大阪フィルハーモニー交響楽団第407回定期演奏会

指揮:大植英次、ザ・シンフォニーホール。昼間の仕事の都合で遅刻して、後半のショスタコーヴィチ交響曲第5番しか聴けなかったので書くのは遠慮しようかとも思ったのですが、色々と大事な節目の演奏会だったのかな、と思うので感想を。

まず、なんとなく煽り文句のような書き方になってしまいますが、今回は、「監督の目に涙」だったようですね。私自身は気付かなかったのですけれど、演奏を終えた大植さん、泣いてらっしゃったようです。複数の新聞記者さんがそうおっしゃってました。

そこから遡って考えると、演奏前に指揮台上で異例に長い時間、深々と頭を下げていたのも、拍手を受けているというより、「2月は休んでごめんなさい!」ということだったかもしれません。

お客さんのほうも、「これから良い仕事してくれたら、それでいいんだから」というつもりで来ているに違いないわけで、暖かい一体感のある終演後の風景だったですね。

      • -

演奏のほうも、いつもとは違うなあ、と思いながら聞いていました。

現象としては、アンサンブルが甘いところがあったのですが、でも、緩んでいるというのではなく、今までの大植・大フィル(特に定期初日)につきまとっていた過剰なピリピリ感がなくなったということで、むしろ良い傾向なのではないかと私には思えました。

就任最初のマーラー「復活」は、面接試験に立ち会っているみたいに客席も異様な雰囲気でしたし、そのあとも、大フィルは大植さんのやり方についていけるのか試されているし、大植さんは本当にみんなの期待を託していい人なのか試されているし、お客さんも今までとは違うスタイルの大フィルにどういう風に反応するかが試されていて、その場にいるすべての人が何かを試されているかのような感じが、ずっとつきまとっていたように思います。

今回「一回休み」をはさんだことで、そろそろ流れが変わってきたのかな、という気がします。

大植英次という指揮者と、大フィルというオーケストラがお互いの落としどころを探っていて、その様子を客席から見守っているというのではなくて、

今回、どっしり中身のつまった普通に大フィルらしい音が、いつもの大植さんっぽい表情で動いていくのを聞いて、大植さんは、「大フィルを指揮している」というより、「大フィルのメンバーとして演奏している」のかもしれないな、と思いました。聞いている方にとっても、こういう風に落ち着いて演奏してもらえると、「大植・大フィルというユニットだったら、まあ、こういう演奏だよな」と納得しながら受け止めることができる。

        • -

冬の記者会見で例の「4オケ統合」発言について質問された時に、大植さんは「以前アメリカでもそういう騒動があったけれど、結局、沙汰止みになりました。どこの国でもそういう話は出てくるもの。話だけで終わることがほとんどなので……」という意味の答えで受け流していましたが、

演奏を聞きながら、大植さんは、ショスタコーヴィチとソヴィエト共産党の確執とか、死後、新証言が出てきて、でも遺族や生前の本人を知る人たちの意見は違っているとか、そいう詮索も、「秋山発言」と同じように受け流して、別のものを見ているのかな、と思いました。

「見てください、ほら、こんな風にゴツゴツした角が生えているんです……」「でも肌の手触りは意外なくらいなめらかで……」「歩く姿は一種独特だけれど……」「目を見ていると、本当に哀しい表情をしていて……」「普段はおとなしいのだけれど、ひとたび立ち上がると恐竜のようにドスンドスンと大股で歩いて……」「大きな翼を広げ、雲を突き向けて大空を飛ぶんですよ!」

ショスタコーヴィチという名前のロシアの不思議な生き物の生態をリアルに見せるのが自分の仕事。そういう演奏だったように思います。

大植さんの演奏には「触覚的」なところがあって、この人は、音をダイレクトに「手で触りたい」と欲望しているんじゃないか、と前から思っているのですが、「解釈」というリクツの問題ではない大植さんの音楽家としてのイマジネーションがはっきり現れた演奏だったんじゃないでしょうか。