新国立劇場の「修禅寺物語」、いずみホールの「カーリュウ・リヴァー」に武智鉄二を思う

新国立劇場で6月に坂田藤十郎の演出で清水脩の「修禅寺物語」があり、いずみホールでは5/16にブリテンの「カーリュウ・リヴァー」が能「隅田川」とあわせて上演されることになっています。

http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000079_opera.html
http://www.izumihall.co.jp/shusai2009/0516.html

昨年は、大阪フィルが久々に大栗裕の「赤い陣羽織」をいずみホールで演奏しましたが(4/15、いずみホール)、「修禅寺物語」は「赤陣」の初演を演出した武智鉄二が1954年秋に関西歌劇団で手がけた作品。「カーリュウ・リヴァー」は、武智鉄二が自らの訳詞で1977年に演出した作品です(東京、藤原歌劇団特別公演、「赤い陣羽織」との二本立てだった)。

「修禅寺物語」は「お蝶夫人」とともに武智鉄二の関西時代のオペラ演出の原点。「カーリュウ・リヴァー」は、日本オペラ協会の三木稔「春琴抄」とともに武智鉄二の晩年のオペラ演出の代表例ですから、通常の日本オペラ史には出てこない水脈を浮かび上がらせる機会になれば、と期待しています。

(新国の「修禅寺物語」は、忙しくしている間にチケットを買いそびれたので、観ることができそうにないのですが……。)

清水脩の「修禅寺物語」は、通常、1955年1月の二期会による東京公演を起点に語られるようです。(この公演は1952年の團伊玖磨「夕鶴」に次ぐ戦後創作オペラ第二弾として注目されて、初日がラジオで生中継され、「音楽芸術」で吉田秀和らが参加した検討会が開かれるなど音楽ジャーナリズムでも大きく取り上げられてただちにレコーディングされ、ヴォーカルスコアは山田耕筰「黒船」などとともに音楽之友社の世界歌劇全集に収録されています。)

でも実際には、1954年11月に大阪のABC朝日放送の開局3周年記念として関西歌劇団が大阪・朝日会館で初演して、芸術祭で賞を得ています。演出は大阪、東京ともに武智鉄二。

武智鉄二にとって、これは1954年春の「お蝶夫人」公演に続くオペラ演出2作目で、日本人の作曲したオペラを演出した最初。西洋風の音楽と歌舞伎調の舞台を融合させる「武智オペラ」のイメージを決定づける公演でした。「お蝶夫人」に続いて演技指導には坂東簑助(八世三津五郎)と坂東鶴之助(現・中村富十郎)が迎えられ、稽古では、鶴之助が歌舞伎(「修禅寺物語」の原作は岡本綺堂が二代目左団次のために書いた新歌舞伎)でのやり方を生かして振り付けしたそうです。

(武智イズムは、見せ場の夜叉王の台詞のバックに鳴り響いていた分厚いオーケストラをカットするように助言するなど、現行スコアにも痕跡を留めているようです。)

ただし、武智鉄二は(丁度やしきたかじんが東京のテレビと合わなかったみたいに)東京との相性が悪かったらしく、「お蝶夫人」(初演は大阪道頓堀の歌舞伎座で花道を利用する華やかなものだったらしい)が関西ではたいへんな好評で同年中に再演を繰り返して、12月に余勢を買った東京公演が予定されていたのですが……、松竹と武智鉄二の間のもめ事の余波で実現しませんでした。(関西歌劇団の今日に至るまで唯一の東京公演は1956年の「白狐の湯」と「赤い陣羽織」。)

「修禅寺物語」も、武智のやり方をのみこんだ関西のメンバーは協力的だった一方で、当時の資料などを読んでいると、東京の二期会とは意思疎通がいまひとつ上手くいっていなかった印象を受けます。どうやら「オペラは芝居である」という大前提が伝わっていなかったらしく、当時の「音楽芸術」などで関係者の証言を拾っていくと、二期会の皆様は、顔合わせでの演出家の「本読み」(芝居の稽古では、最初に演出家自身が台詞を読み、自ら演じてみせることで演出意図を伝える、というやり方があるのですよね)の意義すらよくわからなかった模様……。

1956年のNHKイタリア・オペラ時に企画されたシミオナートらと二期会メンバーによる座談会を読むと、当時の二期会の歌手の皆様がひたすら「正しい歌い方」を教えてもらうことに懸命になっている様子がわかります。当時の二期会には「芝居」の意識が薄く、武智鉄二とは前提があまりにも違いすぎたのでしょう。

新国で「黒船」などを演出している栗山昌良さんは、1954年当時の「音楽芸術」で二期会演出部メンバーとして武智鉄二のやり方に批判的と思われる発言をしていたお一人ですが、今回「修禅寺物語」を演出する坂田藤十郎さんは、10代後半の修業時代に武智鉄二の薫陶を受けた人。この公演は、半世紀の時を経て、上方の演劇と東京のオペラ界が新たな関係を結ぶ機会になるのでしょうか? (いや、それほど大げさなことではないかもしれませんが、それにしても、公演を観れないのは、かえすがえすも残念です……。)

坂田藤十郎 扇千景―夫婦の履歴書

坂田藤十郎 扇千景―夫婦の履歴書

[追記]「修禅寺物語」については、

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20090608/p1
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20090628/p1

もあわせてどうぞ。[追記おわり]

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ブリテン「カーリュウ・リヴァー」は、作曲者が来日時に出会った能「隅田川」(仏教色が濃く後半に念仏を唱える場面がある)をキリスト教神秘劇に翻案した作品。いずみホールが高関健さんの指揮で本作を取り上げるのは、特殊な記譜法で複数の時間が平行で進む現代的なアイデアが、いずみシンフォニエッタを擁するホールのカラーにふさわしいということだと思います。カーゲルやケージをやるのと同じノリで、ブリテンの現代オペラに挑戦、ということなのでしょう。

1977年に武智鉄二がやったときの演出プランは、「武智鉄二全集」(第4巻)に収録されているプロダクション・ノートでほぼ概要がわかります。ブリテンが能をキリスト教化したところに着目して、武智演出は、これを長崎平戸のキリシタンによる能上演(キリシタン能)に見立てたようです。舞台に能舞台があり、「カーリュウ・リヴァー」が能として上演され、周囲で宣教師や信者が見守っている。訳詞による上演ですが、武智は「デウス」といったキリシタン言葉を使いながら訳したようです。

武智鉄二は、テトラコルドの音程構造をもつ三味線や箏の起源がヨーロッパにあり、義太夫節のダイナミズムを、日本伝来の語り芸と西洋起源のテトラコルド構造(三味線)の対決と考えていました。日本の近世総体を「伝統」として無批判に丸呑みするのではなく、近世日本に外来文化(西洋)と土着文化の衝突が既にあったと見ており、義太夫節のパワーはそうした衝突を体現したことに由来する解釈していたようです。

そのような文化史観を持つ人ですから、ブリテンが能という中世末期の演劇をモダンな手法と結びつけたことは、まさしく伝統演劇を活性化させる格好のやり方、ブリテンは我が同志!と武智鉄二には思えたのでしょう。「カーリュウ・リヴァー」の舞台を彼が日本近世の原点と考えるキリシタン文化に置き換えたのは、ブリテンがやったことは南蛮文化渡来の時代の歴史的原体験(と彼が信じていたもの)と偶然にも一致しているということを主張したかったのだろうと思います。

また、こういう話を読んでいると、武智鉄二は、大航海時代に渡来した南蛮文化との遭遇を一種のトラウマのように捉えていたのかな、とも思えてきます。

彼は生涯、日本の伝統演劇の発想と西洋的・前衛的な発想を演劇の舞台上で衝突させ続けていました。

戦中からGHQ占領時代にかけての近代的テクスト批判にもとづく歌舞伎演出の再検討、関西歌劇団・朝比奈隆のもとでの歌舞伎とオペラ融合の試み、演劇界で物議をかもした能と無調音楽を組み合わせるアンフォルメル演劇、60年代以後の反米とエロスを掛け合わせた映画の制作……など、やり方は次々変わっていきますが、いずれも、そうした日本の近世/近代のトラウマ(と彼が信じたもの)を反復・再現しようとしていたと見ることができそうです。

その意味で、武智鉄二は日本の伝統演劇を同時代に突きつけ続けた人ではあっても、日本文化の「古層」に回帰しようとする復古主義者ではなくて、日本文化にも精神分析的なアプローチが可能な構造があると信じ続けた筋金入りの近代主義者だったのかもしれません。(もしかすると、遠藤周作の「沈黙」をオペラ化した松村禎三とそれほど遠いところにいたわけではないのかも。)

武智鉄二は大正元年生まれで、リベラリズム・モダニズム花盛りの時代に芦屋のお坊ちゃんとしてすくすく育ち(お酒がダメで打ち上げの席ではケーキを食べる人だったらしい)、貴志康一と同じように甲南学院に学び、京大時代に滝川事件で経済学部自治会長として挫折を体験して、以来、日本の伝統演劇の世界へ沈潜しました。

彼の日本文化史観(展開の決定的な場面に外部文化との衝突がある、というような)はモダニズムを一時は本気で受け入れた大正世代が戦争中の軍国主義を断固受け入れずにいるための理論武装というところがあって、それ自体が時代の産物だったのではないか、とも思えるのですが(戦後世代にとっては大げさすぎると見えてしまうような……)、武智本人は大真面目。「カーリュウ・リヴァー」公演では、狂女に能楽師の桜間金太郎を起用して、渡し守は当時のオペラのスター、立川澄人が演じました。

普通のオペラ史にはまったく出てこない裏話ですし、今回のいずみホールは、武智鉄二流に設定を読みかえた演出ではないでしょうし、大げさな文明論を提起するわけではないと思いますが、「カーリュウ・リヴァー」を元になった能「隅田川」との二本立てで観ることができるのですから、きっと色々考えるきっかけにはなるだろうと楽しみにしています。

能楽名演集 能「隅田川」 観世流 梅若六郎、宝生弥一 [DVD]

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[追記]カーリュウ・リヴァーについては、次の記事に続きます。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20090512