先日第一報風にお伝えしました松下眞一、スペクトラ全曲演奏を含む演奏会。
お問い合わせ先:http://active-kei.com/news.html
演奏者大井さんブログ:http://ooipiano.exblog.jp/12896328/
唐突ですが、こんな作文をさせていただきました。
http://ooipiano.exblog.jp/13519884/
わたくしが大栗裕のことを調べはじめたきっかけは、大フィル60周年「関西の作曲家によるコンサート」で大栗裕、松下眞一、貴志康一について解説を書かせていただいたことでした(http://www.osaka-phil.com/schedule/detail.php?d=20070712)。
大阪音大に大栗文庫があることも、私が住んでおります茨木市には今も生前の松下眞一にゆかりの方々がいらっしゃることも、すべてこの演奏会のときに初めて知りました。
それ以来、松下眞一のことは、大栗裕とともに、ずっと気になっています。
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大栗裕は、上記リンク先文中にある「大阪の秋」国際現代音楽祭には、(朝比奈隆・大阪フィルが毎年出演していたにもかかわらず!)わずかに「擣衣」というソプラノと管弦楽の作品(能「砧」の詞章に作曲)を出品したのみで、いわゆる前衛音楽業界とは一定の距離を保っていました。
日本の作曲家が総動員された観がある万博のときも、万博讃歌を作曲してはいますが、企業パビリオン関係では、サンヨー館の「日本の四季」という穏健な展示の音楽を担当しています。
一方の松下眞一は、「大阪の秋」も万博も、企画段階から関与しています。
関西の作曲家のことは、(大栗裕のことを調べるようになって骨身に染み、痛感するのですが)、生前に形成された評価・イメージ・烙印が今も引き継がれていて、未整理・未調査で「落とし前」を付けるべき案件が山積しているように思います。
もちろん、同時代を生きた諸先輩方から、私達には知りようのない体験・経験・感慨をお伺いせねばならないこともたくさんあるとは思いますが、現在の感覚で捉え直していくことも同時に必要だし、それは、絶対面白いことになるはずだと信じております。(大栗裕ですら、日々びっくりするような発見の連続なのですから……。)
松下眞一の業績・足跡は、現在公表されている情報や本人の著作だけからでは、はっきりしないことが多く、危なっかしい綱渡りのような作文しかできていませんが……、重要そうなのに作品を聴くことが難しくなっている戦後作曲家の筆頭なのは間違いないでしょう。
大井さんがブログに散りばめてくださっている楽譜を眺めるだけでも、どんなことになるのか期待が高まります。