貴志康一について音楽学ができること(梶野絵奈、長木誠司、ヘルマン・ゴチェフスキ編『貴志康一と音楽の近代』)

2009年11月のシンポジウムの報告書。

貴志康一と音楽の近代―ベルリン・フィルを指揮した日本人

貴志康一と音楽の近代―ベルリン・フィルを指揮した日本人

貴志康一について、指揮者としての活動を除く主要トピックを押さえてあって、音楽学の作曲家論集のお手本のような本だと思いました。

貴志康一シンポジウムは東大教養部院生の皆さんの企画だったそうですが、トピックの立て方が的確で、甲南高校の一次資料の調査などを踏まえて論を進める研究の方法論も統一されていて、研究室としての「躾け」が行き届いている感じがしました。しかも、本の構成とか論の進め方の感触がドイツの作曲家研究(音楽学がしばしば企画するシンポジウム形式の共同研究報告書)にそっくりなところは、プロフェッサー・ゴチェフスキーの存在が強く感じられる作りですね。

もしこの本が音楽系出版社から出て、その出版社から引き続き作曲家の全集が出るという流れになったら、まさに、ドイツ流作曲家研究の王道の歩みですが、さすがに、そこまでこの話が大きくなるわけではないのでしょうか。

貴志康一の生誕百年のシンポジウムをどうして東大駒場でやるのだろう、と2009年当時はちょっと不思議な感じがしたのですが、貴志康一は、若くして亡くなっているから全体像を見通すことが比較的容易で、なおかつ、活動が多岐に渡るので、共同研究のやり甲斐がある。「日本の洋楽」の作曲家研究の規範的な雛形として取り組むには、格好のテーマなのですね。

「音楽学」には、まだできることが色々あるはずだと思っていたところに(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110515/p1)、お手本のようなサンプルが出てきた、という気がしました。大言壮語しなくても、こういう風に、ひとつずつ手堅くテーマや作曲家を攻略する専門家集団を組織していく道があるわけですね。(「夭逝の天才」神話の言説分析みたいな話は、この本がそうであるように、基礎研究を順番にやったうえで、最後に書き添えるくらいでいいのではないかと思います。「赤い鳥」型から「早教育」型への「天才」言説の転換という話はナイスだと思いました。)

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ただ、貴志康一の場合は、資料が甲南高校に集約されているから調査を効率よく進めることができたのだ、とも思います。作曲家ごとに事情は千差万別ですし、たとえば武満徹だったら国内だけで話は片付かないでしょうし、そこまで「国際派」でなくても、長寿を全うした音楽家の場合は、どうしても音楽家自身が把握しきれないところへ活動が広がるはずなので、もうちょっと基礎調査の段階で、息の長い仕事が必要になるだろうと思います。長生きして陰影のある活動をした存在を取り扱うことができてこそ、研究としては本物だと思うのですが、若死にした人のほうが、効率よく成果が出てくるから研究がやりやすいんですよね。それは日本だけのことではなくて、バッハは別格として、40歳までに亡くなったモーツァルトやシューベルトの研究は精密にできるけれども、ベートーヴェンは大変そうです。

それから、貴志康一は、映画を除けば、ほぼ、紙の資料(楽譜と文書・出版物など)で概要をつかむことができるという意味でも、研究がやりやすい対象なのでしょうね。ヴィルトゥオーソ作曲家と言ってもそこまで本格的に演奏活動(紙の資料だけでは概要を掴みがたいような)を展開していませんし、戦後の作曲家のように放送や録音の比重が大きいわけでもない。大澤壽人になると、劇場やラジオがかかわってくるので、早くも大変になるようですし、ヴァイオリンの辻久子は、はたしてどれくらいの仕事と業績があった人なのか、未だに全貌はわかりません。

貴志康一は、音楽学のメソードを身につけた優秀な院生さんが取り組むのに格好の練習問題で、模範解答がきれいに出てきたということなのかな、と思います。

(たとえば、本書はヴァイオリニストとしての貴志康一を見事に解読していますが、指揮者としての貴志康一が扱われていません。ピアノやヴァイオリンは、「早教育」型の天才を量産できるくらいに教育メソードが確立していて、だからこそ、貴志康一の「過渡期」的な技量を正確に測定できるわけですが、指揮者とは何なのか、ということについては、まだ、誰も決定的なことを言えていないのが現状です。本書の手堅いスタンスでは、指揮者論は無理だったのかな、と思いました。)

私は、昔から試験や問題集の最後に出てくる応用問題を解かないと気が済まない偏った子供で、簡単な基本問題でつまらないミスばかりをして今日に至っておりますが、世の中は、確実に解ける課題をコツコツ解いていかなければ、話が先へ進みません。一発芸ではないこういう手堅い作曲家研究こそが、賞賛に値する仕事なのだと思います。(最高学府というのは、誉められることを運命づけられた機関ですから、誉められる仕事をどんどんやっていただかなければ! それが正しい格差・階級のエートスというものでしょう。)

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最後にひとこと。

この共同研究は、「夭逝の天才」という標語のもとで辛うじて貴志康一を忘却の淵から救った戦後の受容史をスキップ・中抜きして、オリジナル資料へ立ち戻ることで貴志康一像をアップデートする試みだったわけですが([追記]言い換えると、本書は「受容史や聴衆論や消費論は食傷気味だから今回はやめときましょう」という気分をほのかに感じさせる構成になっているわけですが←本郷の文学部の渡辺裕派の皆さん、80年代以後に生まれた「仕事のできる人たち」の間には、既にこういう気分が醸造されつつあるみたいですよ!(笑))、だからこそ、戦後の一億総中流時代に貴志康一を埋没させないための旗を振り続けた小石忠男さん(=甲南の方々とも近いところにいて、単に天才神話を消費するだけではない立場で貴志康一にこだわり続けた人)には見届けていただきたかったかも、と思いました。あと半年お元気でいてくださったら……。

「「関西のローカリティゆえの欲目」とか書かれちゃいましたけど(笑)、貴志康一が音楽史へ登録される道がついたのだから、まあ、よかったんじゃないですか、バトンは、優秀な若い人たちへ引き継がれたみたいですよ」ということで。

[追記]

貴志康一の資料は、甲南高校へ寄贈される前に安宅財団が保管していた時期があるらしい、とか、「仏陀」の、演奏譜としてはちょっと違和感のある浄書スコアがモーリッツの手になるものらしい、とか、のちに「道頓堀」のメインテーマになる映画「鏡」の付点リズムのモチーフには、「スウィングのリズムで」と書かれているらしい、とか、『貴志康一と音楽の近代』には気になる記述がちりばめられています。

甲南高校の貴志康一資料室のコレクションは、アプローチすれば他にも色々なことが見えてきそうな情報の宝庫なのだろうと思いますが、資料をどのように運用するかということは、資料室の方針、ひいては学校の資産運用の方針にかかわることなので、一概に外野が何かを言う筋合いのものではないとも思います。研究者と資料室が本格的にタッグを組んで、双方に無理のない形で大規模調査を展開するためには、たとえば単年度から数年度のスパンでの科研や各種助成金プラス手弁当で企画を立てて訪問して先方の御厚意に甘えるというやり方ではなく、先方ともじっくり話し合いつつ資金を積んで、貴志康一の全集や生涯の記録を編纂するといった事業を立ち上げないと難しいかもしれませんね。

今、音楽学がそういった巨大プロジェクトをやれるのかどうか、やるとしたらそのテーマは何であるべきなのか、貴志康一や大澤壽人なのか、山田耕筰なのか、あるいは音楽学校系の橋本国彦とかなのか、もっと他の誰かなのか。「日本の洋楽」の研究を、初動の盛り上がりから次の段階へ進めるために、誰かがそういう舵取りをやるのかどうか。そろそろ考えなきゃいけないんじゃないかという気がします。(これは、中年以上の音楽学者でなければできない仕事がちゃんとあるのだから、いいかげんに目を覚ませ、という話でもありますね(笑)。そういう大きな仕事をちゃんと取りまとめるためのスキルやノウハウを伝承していかないと、集団としての音楽学は、まともに存続できないはずですから。)

せめて、貴志康一のオーケストラ作品に関する情報(テクスト批判や成立史など)と、貴志康一がベルリンでオーケストラへアプローチしていく過程を本格的に整理することができれば、帰国後の指揮者としての活動を実証的に考察する土台にもなるだろうと思います。

ただしこれも、「オーケストラの作曲家指揮者としての貴志康一」に関する情報を時間をかけて整備したうえで、平行して、「新響・N響的なもの」(彼らは「貴志康一的なもの」を頑として受け付けない)とは何だったのか、というように日本のオーケストラ運動を再検討して、両者を照合することになると、相当大きな事業ですね。ひょっとすると、このあたりはもう、鍵盤音楽と唱歌がご専門のゴチェフスキーとは別のプロジェクト・リーダーを立てるべき仕事なのかも。(具体的な適任者が思い浮かぶわけではないですが。)

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大正デモクラシーのなかで巣立つ「赤い鳥」型の才能は、個人での研究に向いた領域で、「日本の洋楽」の研究が明治の唱歌論や家庭音楽論の次の段階へ駒を進めるのに格好の題材なのだと思います。この共同研究でも、ヴァイオリン論や歌曲論での手堅い成果が、他の分野を論ずる場合の「原資」になっているように見えます。

でも、昭和期に入ると、「日本の洋楽」も、個人や家庭に基礎を置いてどうにかなる規模ではなくなっていくんですよね。

威勢良く拡大していく「昭和の洋楽」談義(片山杜秀さんや戸ノ下達也さんがお得意の領域)と、唱歌や童謡の研究、ピアノやヴァイオリンのお稽古の調査を核にして慎ましく積み重ねられてきた「明治・大正の洋楽」研究を、うまくつなぐことができるものなのかどうか。そこは、ひと頃の昭和モダニズム評論の流行語だった「切断」がある、と分離しておくべきなのか。貴志康一のオーケストラ音楽&指揮者論が意外に難物なのは、明治・大正と昭和をどう繋ぐか、という問題と関わるからなのかもしれません。

「良家の子女」の文化に共感を寄せる人たち(東大駒場の大学院はなんとなくそういう方々が集まる場所のようなイメージがある)と、「都会のモダニズム」が大好きな人たち(なんとなく慶応からそういう人がよく出てくるような印象がある)の間に対話は成立するか、ということなのでしょうか。