蜘蛛の糸、釈迦の意図→拙速(仮)

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

拙速だったカンダダ救出計画の反省点

  • カンダダだけを救いたかったんだったら、まず彼を他の人たちから隔離するとか、糸を垂らす前に適切な前処理をするべきだったのではないか。コンピュータ・プログラミング的に言えば、publicとprivateの切り分け、globalとlocalの切り分けができていないのが敗因ではないか。(この寓話は、カンダダの善行をお釈迦様「だけ」が知っている、という設定なので、「蜘蛛の糸」の物語世界には、publicとprivateもしくはglobalとlocalの区別が存在している。それなのに、いきなりpublic/globalな領域に糸を垂らすのは、そりゃ、お釈迦様のやり方はアバウトすぎる。(こういう風に、意図は良いけどやり方がマズい上司/責任者/鶴の一声って、ありがちですよね。)
  • お釈迦様自身にそういう細かなケアのノウハウがないんだったら、何でも自分で処理しようとしないで、自分の意図を実現できるように、しっかりしたマネージャーを雇うべきではなかったか(=極楽浄土も近代社会にふさわしく、分業を導入しましょう(笑))。

芥川龍之介は東京帝大出身で、夏目漱石に目をかけられたりして、エリートさんだったんだと思いますが、大衆社会に対応できていない。そのあたりが、彼の造形したお釈迦様のキャラ設定に投影されてしまっているのではないか。

(芥川の寓話は、たいてい、そういう風に「天然」なエリートさんが、大衆社会の萌芽に触れて怯える、という組み立てになっている。だから、エリート(予備軍?)さんのナルシシズムを刺激して受けているだけなのではないか。)

……というような話はさておき、

globalとlocalは対立しているのではなく、切り分けの機微が問題なのではないかということをいずれ書きたいのですが、

現在、複数の仕事が[……以下、略……]なので、あとで書き足すかもしれない仮設エントリーとさせていただきます。