大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」の初稿(1956)と改訂稿(1970)はどれくらい違うのか?

こういうことは、お客様が色々な聴き方、楽しみ方をしていただければいいことで、言わぬが花なのかなあ、という気もするのですが、「大阪俗謡による幻想曲」の成立史を探るところから大栗裕に接近した人間の冷静な観察結果を再度述べさせていただくとするならば……、

「大阪俗謡による幻想曲」のベルリン・フィルへ寄贈された1956年の初稿と、1970年の大阪万博での演奏(ちなみに期間中のフェスティバルホールでの一連の演奏会の呼称は「EXPO'70 CLASSICS」「万博クラシック(ス)」など文献によって少しずつ違っていて、どれが公式な呼称なのか判然としません)を機に改訂された現行の決定稿の楽譜を実際に対照すると、序奏とコーダ部分以外は、実はあまり違いがありません。

序奏は、2小節の「カマシ」のあと、第2ヴァイオリンとヴィオラが入るまでの間にベースと打楽器だけの4小節がある、とか、クライマックスのあと、お神楽風の旋律の断片をエコーのように吹くバス・クラリネット等がない、とか、チャンチキへのつなぎの部分にaccel.するcis音の連打がない、とか、既存のCDや吹奏楽版を細かくご存じの人なら、20日の演奏を聴いてすぐに気がつく明らかな違いがあります。

それから、最後にテンポアップして騒々しい中で獅子舞のメロディーが再現するコーダ部分は、獅子舞を演奏する楽器の数が少なくて、音高も1970年版より低くて、いまいち、獅子舞囃子がよく聞こえないオーケストレーションになっています。

が、序奏が終わって、チャンチキが入ってからコーダまでの部分=曲の大半は、途中で数小節だけバス・クラリネットと第1ファゴットが入れ替わっている、とか、ヴァイオリンの合いの手の音型が1970年版より1オクターヴ低い箇所がある、とか、そういう、部分的な違いがあるだけなのです。実は……。

(長らく「大栗裕は自筆譜が手元にない状態で、初演から間もない時点でスコアを記憶で再構成した」(これが1956年稿と1970年稿の間の時期の暫定稿)と言われてきましたが、記憶が頼りであるにしては双方は似すぎています。先日会場でも展示させていただいた「大阪の祭囃子による幻想曲」と記された草稿がほぼ鉛筆で完成された状態で作者の元にあったから、スコアの再構成ができたのだと思います。この草稿には、何段階かの加筆や修正があって、当初は1956年稿のための下書きだったと思われますが、序奏やコーダの部分は、1970年稿に相当する形に加筆あるいは書き直しされています。この草稿は、1970年稿を仕上げる段階まで使われ続けたものと思われます。

また、会場では1970年稿を作るに至った裏話を報じる新聞記事も展示させていただきました。(暫定稿を誰かに貸して気がつけば行方不明で大あわて、仕方なく、万博での演奏に間に合うように、新たにスコアを作った、というようにこの記事には書かれています。完成は万博での本番の10日前でした。)

あと、会場では大阪フィルの小野寺昭爾さん作成の「大栗裕と大阪フィル」データブックも販売されておりました。大阪フィルでの「俗謡」の全演奏記録が出ています。これを見ると、1956年から1970年までの国内に暫定稿しかなかった時期には、それほど頻繁には演奏されていなかったことがわかります。

作者としては、「昔の曲やし、ホンモノの楽譜はベルリンやし、どーしてもやりたいんやったら、これ使っといて」(頼まれたら嫌とは言えない大栗裕、インチキ大阪弁失礼!)という感じだったのではないでしょうか。

「ベルリン・フィルに捧げられた曲」という評判だけが広まっていた作品が、万博クラシックのあと、1974年の欧州公演で取り上げられたりしたころから、遅れて「実体化」して、頻繁に演奏されるようになったようです。吹奏楽版の作成もこの時期1974年ですね。)

大阪フィルが1999年に初稿を一度やって、そのあと取り上げていないのは、おそらく、序奏とコーダの違いだけのために、最後がいまいち盛り上がらない初稿版をコンサートで取り上げるだけの動機付けがなかったからだと思われます。

今回は没後30年の大トリですし、半ば偶然ですが、曲順が、1970年代の作品(万博讃歌と大証100年)→1960年代の作品(ヴァイオリン協奏曲)→1950年代の作品(俗謡)という並びになったので、俗謡を50年代のヴァージョンでやるのも意味がある、ということだったのではないかと思います。

とはいえ、私も、序奏は1956年稿にも一理ある、これもアリかも、という気がするので、56年稿がどういうものなのか、一度正規に録音して、聴くことができる状態にしておくことは、資料的に意味があるだろうな、という気はしております。

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そしてこれは逆に言うと、「俗謡」という曲は、初稿と改訂稿というヴァージョンの違い以上に、同じ楽譜を使っても、指揮者やオーケストラによって、全然違う印象を生み出しうる楽譜だということだと思います。

なぜ、そうなるかというと、おそらく、大栗裕の作品のなかでも、楽器の組み合わせが細かく交替する、とりわけ「せわしない」書き方になっているからだと思います。

メロディーをつなぐブリッジや後半の展開部風の箇所では、ほぼ2小節や4小節単位でどんどん楽器の組み合わせが変わりますし、10小節以上の長いメロディーを演奏しているところでも、その裏に細かく色々な楽器の合いの手が入ります。しかも楽器の組み合わせの多彩さに加えて、時には三和音、時には都節や田舎節のモーダルなハーモニーというように、音の重ね方もコロコロ変わります。

だから、全体をあまりデコボコしないように調整するか、楽器やハーモニーがどんどん変化する様を強調するか、洗練した軽いタッチでまとめるか、土俗的にゴツく演奏するか。やり方によって、印象が大きく違ってくるようです。

そしてさらには基本テンポをどう設定するか、という問題もあって、

朝比奈隆(ヨーロッパ公演の音源あり)と下野竜也(ナクソス)、外山雄三(録音は残っていないけれど1956年稿も1970年稿も、両者の間の時期に国内で使われていた暫定稿もすべて演奏している)と今回の手塚幸紀、あるいは、昨年の大阪クラシックで演奏した大植英次。同じ大阪フィルであっても、おそらく、並べて聞き比べることができれば、全部印象が違うんじゃないかと思います。

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今回の「俗謡」が一種異様で特別な感じに聞こえたとしたら、「初稿だ」と思って振る/弾く/聴くことによる“プラシーボ効果”が働いたかもしれませんね。(事前に宣伝したわたくしも、この点では「共犯」でしょうか……。)

でもまあ、20日の演奏会は没後30年の「蘇り」がテーマですし、あれだけ色々な大栗裕を聴いて、その最後というのは、特別な演奏になっておかしくない場面、演奏が特別に聞こえておかしくシチュエーションではあったと思います。

1956年と1970年の両方の楽譜を細かく調べて、どこがどうなっているのか知っているはずの私ですら、聴きながら、「ひょっとして、楽譜の違いを見落としていたのか?!」と動揺する瞬間がありましたから。

手塚さんの、落ち着いたテンポでイカツイ響きなのに飄々としてリズムが停滞しない独特の感覚は、かつて大量の新作初演を手がけた人ならでは、という感じがして、どの曲もすごく面白かったですし。

(いつか、1970年稿を底本に序奏とコーダの1956年稿を付録につけた「大阪俗謡による幻想曲」の校訂譜をどこかが出版してくれたら、色々な疑問を解消して話を次の段階へ展開できて、いいんじゃないかな、と思っております。日本の20世紀の作曲家の楽譜出版を商業ベースに乗せるのは、とても難しいのだろうとは思いますが。)

スコア 深井史郎 パロディ的な四楽章 (Zen‐on score)

スコア 深井史郎 パロディ的な四楽章 (Zen‐on score)

たとえば深井史郎のこのファクシミリ版は、自身がデザインした表紙から何から、読んでいて興味が尽きないですし、日本の作曲家の楽譜を容易に「読める」ようにする仕掛けをうまく作れたらいいのになあ、と思います。
深井史郎:パロディ的な四楽章/バレエ音楽「創造」/交響的映像「ジャワの唄声」

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  • アーティスト: ロシア・フィルハーモニー管弦楽団,深井史郎,ドミトリ・ヤブロンスキー
  • 出版社/メーカー: Naxos
  • 発売日: 2005/06/01
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