昔、阪大の品行方正な学部生が、卒論発表を「広辞苑によると“合唱”とは……」と切り出したので、呆れたことがある。
研究者というのは、事典やデータベースを「作る」のが仕事であって、それを巧みに利用するスキルをもつかどうか、というのは副次的なことだと思う。(そのスキルがないと不自由するし、音楽学の卒業論文を広辞苑からはじめるのは、文献検索のスキルとしても、ちょっとどうかと思うけれど……。)
だから、特定の有料データベース検索を学内で利用できないことで騒ぐ、というのは意味がよくわからない。そういう人が「学問は効率で測れない」とか言うのは、どういうジョークなのか?
(本当にどーしてもその資料が見たいなら、自腹を切れ。金がないなら、論文を発表したあとで警察に出頭する覚悟で盗め(←激しく非推奨、私はあなたの人生に一切責任をもつ気はありませんので念のため、それに、見ることができないはずの資料を不正に入手してなされた成果は、必ず足が付きます。プロの調査力を舐めてはいけない(笑)、ハッカーはクラッカーではない、というやつですね)。でも、知的好奇心には、そういう魔性のようなところがあるとは思うのです。)
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私見では、ある時期までの「戦後日本の作曲」論が絶望的につまらなかったのは、みんなが『音楽芸術』の総目次で記事を拾って、それだけをソースにして書いていたからだと思う。(そしてある時期、親切な音楽図書館が主要国内音楽雑誌の総目次を熱心に作ったことが、この閉じた生態系の形勢に拍車をかけたのではないかと思う。もちろん、総目次作成作業そのものは、音楽図書館としての正しく立派な仕事ですが。)
でもそういう、明るく楽しい図書館でのお勉強だけでは、こういう本はたぶん書けない。
- 作者: 川崎弘二
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とりあえず、あまりにも当たり前のことではありますが、短信とか、ニュース蘭とか、雑誌には目次に出てこない部位があります。そしてそこにも文字が書かれていて、情報が様々に含まれています。
雑誌は目次で斜め読みして、現物を手にするのは、奇妙な器具とかの広告をみつけてケラケラ笑うときだけ(例:渡辺裕『音楽機械劇場』)というような感性を、前途ある若い人がマネするもんじゃない。
大宅文庫で記事を拾って書いた文化史の論文は、今の学部生や院生が就職した頃には、陳腐化して誰も見向きもしなくなっているんじゃないかと思う。
資料調査は、オセロや将棋のような短期戦ではないのだから。
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