「君はこんなことも知らんのか」と他人の無知を指摘して回る人ってよくいますけど、昨今授業で学生の無知を指摘しても向学心の阻害にしかならんように感じる。「それ面白いな○○はどうなん」「知りません」「ほな調べて教えてくれい」的にサイクル回すと教師も勉強になってwin-winなことが多い
「他人の無知を指摘して回る人」は、今ではむしろ少なくなりすぎているのではないかと思うし、「言われてから調べる」というのは、向学心も結構だけれども、後手後手で遅い感じは否めず(←「民間では考えられない」はこういう場面で使う言葉(笑))、押っ取り刀で調べた結果は大して使えないものだったりすることもあるので、結果をちゃんと教師が「評価」するフィードバック機能を装填しているのか心配ではあるが、
それ以前に、「君はこんなことも知らんのか」というのは、目下の者に対してではなく、目上の者に向けて発する可能性を考えた方が生産的だと思う。
教室で「先生、そんなことも知らないんすか?」と言おう。
そして大学の外で、「大学の先生って、こういうのご存じないんですね」とか、どんどん言いましょう。
この通りに言うと喧嘩を売っていることになるので、言い方とか、言わずにそれを伝える方法とか、色々工夫したほうが安全だとは思うが、それを含めて、コミュニケーション=交通はそこから始まる。
http://cruel.org/freeware/cathedral.html
「伽藍とバザール」は90年代後半に顕在化した(実は50年代まで遡ることのできる)ハッカー文化をよく説明する技術論ではあったけれど、私たちは2010年代を生きていて、「廃棄したいものを捨てるに捨てられない」というのがこの島の目下の最大の悩みなのだから、凶悪な廃棄物の賢いリサイクル方法を大学の先生たちには考えてもらいたい。その廃棄物が凶悪なのは、もう既に十分にみんな知ってますから。
片山杜秀との対談で、菊地成孔が「これからは、何を聴いたかではなく、何を聴いていないか、が価値になるかもしれない」という意味のことを語っている。別冊「本」ラチオ SPECIAL ISSUE 思想としての音楽
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「君はこんなことも知らんのか……それは素晴らしい!」
は十分ありうる。あの素晴らしい○○を知る、という体験がこれから君を待っているのだから! とか、○○を知らずに生きてくることができたとは、あなたはなんという恵まれた境遇にいることか、羨ましい! 等々、たしかに色々な可能性が考えられる。このように差異を大らかに肯定してこそ、正しい格差社会、正しく「中国化」した社会ではないか。
不快なものを「外へ捨てる」(世の中に○○がはびこっているけれど、オレは違うよ)、というのではなく、飲みこんで咀嚼しよう。それがオトナへの第一歩!
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