業務連絡

[補足説明あり]

なるほど、そこがそうなってこういうことになっていたわけか、と遅ればせながら状況がすべて腑に落ちて、以来、簡潔に説明するのが難しい理路を経て極めて不機嫌なのですが、ちょっと正気を取り戻したので業務連絡。

その1:本件担当者様におかれましては、人材管理とトラブル処理のプロフェッショナルとして、日陰の存在である音楽評論家を「木の上に登らせる」というアクロバットをやってのけようと大胆にもご計画された以上、多少の掟破りは仕方がなかったのであろう、と思っております。万事飲みこんだうえで、わたくしとしては、日常生活を取り戻しつつ末永くお仕事でご協力させていただければと思っております。今後ともどうぞよろしくお願いします(揉み手)。

その2:そのうえで、ほぼ歩くトラブルメーカーと形容して良いかもしれない案件の処理は(いちばんはじめの時点で、これはまた、と腰を据えてかからねばならぬ覚悟を決めたのは当然ですが、どういう経緯で赴任一月後から突如諸々が当方へ回ってきたのかを含めて了解しました)、ミッションがおおむね一段落した以上、対応をその道のプロへ全面的にお任せしますので、どうぞよろしくお願いします。

その3:何がどういう状況になっているのか、いまひとつ判然としませんが、日常業務であるべき今後のスケジュールの連絡・決定が滞るというのは、仮に何か困難な事態の副作用だとしても、いかにも、当方にとって迷惑ですので、歩くトラブルメーカー氏が、そのような機能不全から早急に回復するよう、善処してください。おそらく、正規の手順で推移を見守るよりも、そちらで私的に対処していただくのがかえって効率的かと思いますので、よろしくお願いします。

[補足]

比較的すっきりした説明図式を思いついたので、補足します。

男A、女B、男Cがいると想定してください。

男AとCは、同じ業界に20年以上いる中堅で、女Bは、会社の事情で唐突にこの業界へ配属されて、右も左も分からない人物。

90年代以後のテレビ業界が典型的にそうであるように、「右も左も分からない若い女の子」というのは、業界に染まっていない感性によって、いわゆる「新鮮な感覚」で発言できるということで、歓迎される可能性がある立場であるということが、以下に記述する事態の背景でございます。

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男Aは、いわゆる業界の「できる人」であって、右も左も分からぬ新人であるところの女Bは、定義上、そのいわゆる「新鮮な感覚」によって、直ちにその事実を察知して、男Aを頼る。そうすると、男Aは、困ったときは男Cに相談すればいいとアドバイスする。(男Aと男Cは、同世代の同業者ですから、そうしたアドバイスはごく一般的なものであると見ることができるでしょう。)

女Bは、右も左も分からない業界ビギナーですから、当然、信頼を寄せている男Aのアドバイスに従うことになる。

一方このとき、男Cは、こうしたやりとりが男Aと女Bの間にあったことを一切知らず、女Bから何らかの相談を受けた際には、ごく一般的な業界内の新人からの相談として処理しました。

ここまでは、どこの業界でもごく普通にある事態です。

ところが、ここから何やら事態がおかしな方向へ展開します。

女Bの男Cへの相談事は矢継ぎ早であって、なおかつ、どれだけ懇切丁寧に対処しても、穴の空いたバケツに水を入れるように、こちらの対応に対しては、まるでノーリアクション、そのような懇切丁寧を受けるのが当然であるかのような反応であるわけです。

男Cは、「今時の若い者は厚かましいのであろうか」と不審に思いつつ、新人Bがそれなりの仕事をしているようなので、これも業界へ貢献していることになるのだろうとそのままにして、それなりに大きな仕事があるのでそちらに忙殺されておりますと、女Bも関わったその大きな仕事が一段落した段階で、女Bから、「慰労会でもやりましょう」という提案がくる。

そしてその場へ行きますと、何故か、女Bから呼び出されてそこへやってきた男Aがいるわけです(笑)。

……何が起きているか、皆さま、わかりますか。わかりますよね?

要するに、女Bの脳内では、「困ったときには男Cに相談したらいい」とアドバイスしたのは男Aであって、私に適切な相談相手を紹介してくれるというのは、男Aがいかに「できる人」であるか、ということの証明であり、それ以上でも以下でもない。そうして、男Cが期待通り懇切丁寧にアタシの相談に乗ってくれることは、男Aの素晴らしさを証明することに他ならないのだから、あらゆる感謝は男Aに向けられることになる。そして、女Bと男Cが関わった大きな仕事が無事終了したことの慰労会の場には、女Bの脳内では当然のこととして、男Aが同席しなければならない、男Aこそが最大の功労者であり、彼こそがすべての讃辞が振り向けられる対象である、「Cさんもそう思うでしょう!!」というわけです(笑)。

明らかにここには、男Cには関知し得ない何らかの現実歪曲要因が介在しているわけですが、その現実歪曲要因をどのように名指すべきであるか、ということは、男Cの関知する事柄ではないので、深追いすることは止めておきましょう。

(ごく常識的な用語法では、男Aの関わる事柄すべては男Aの素晴らしさの証明である、という風に物事を考えてしまう思考回路は、女Bが男Aに惚れている、とか、メロメロである、というような言い方が可能なのかもしれません(笑)。また、一般的な社会通念に照らすと、男Aと女Bの双方が独身者である場合には、両者の関係は、その親密度によって、友情であったり恋愛関係であるということになるのでしょう。そして、双方の少なくともどちらか一方が既婚者である場合、なにやら事態はややこしげなところへ陥ることになるかもしれないわけですが、それは、男Cであるところの当方は一切知ったことではありません。)

で、これが一般常識・一般的な社会通念に照らした事実関係としてどのように呼称されるべき事態であるにせよ、「穴の空いたバケツ」とこれ以上関わり合いになるのは、めんどくさいことこの上なく、しかも、既に穴の空いてしまっているバケツに何か言っても、話がまともに通じるとは到底思われないので、とりあえずもう一方の当事者に、「どうにかしてくれ」と通達した、というのが、上記「業務連絡」でございます。

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まあ、一般論としては「よくある話」です。

そして、「よくある話」であっても、当人の知り得ないところで、そんな妙な人間関係へ巻き込まれるのはたまったものではない、というのも、これまた、人生ではしばしば遭遇することではあります。

そして片山杜秀氏によると、

もちろん「万物流転」だからといって自分が流されては困る。吉田は徹底的に自立した市民の理想を追い求めていた。他人に惑わされず地に足をつけておのれの暮らしを守ってゆく。大風呂敷は広げない。しかし自分の日常を乱す者には断固抗議する。健常な市民感覚だ。個人主義と自由主義の精神を体現した。そしてそういう精神を日々に保つために、吉田は西洋クラシック音楽を必要とした。

吉田秀和の遺産 片山杜秀さんが選ぶ本 - 片山杜秀(慶応大学准教授・評論家) - ニュースの本棚 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

というような「健常な市民感覚」こそが、死んでしまった吉田秀和の美徳であったと見ることができるそうですから、ここでは、音楽評論家のはしくれとして、文化勲章で日本国のお墨付きを得た「健常な市民感覚」を行使して、「ええかげんにせい」と一言申し述べた次第でございます。

これも仕事の(出入金として数字にはあらわれない)「決算」の一環ということで。

まあ、だいたい評論家などというものは、直接的な利害関係から隔離された場に放置しておくから意味があるのであって、それをどうにかして利害関係の渦の中へ巻き込もうと画策するというのが、根本的に勘違いだし、筋違いだと言わざるをえないと思います。

それは、評論家としてやっていこうとしている者に「死ね」と言っているに等しい。そしてそんなことを要求する権利は誰にもない(はず)。

(なお、このお話には他にもいくつかの解釈がありうるか、とは思います。

  • (1) 男Aと女Bが団体・会社の構成員であり、一方、男Cはフリーランスであることが一連の事態に影を落としており、おいしいところは「上流」の団体・会社様のものとなり、面倒なことは「下流」のフリーランスがすべてかぶるのが当然である、という解釈。
  • (2) 女Bにとって、仕事上のパートナーシップというのは「疑似家族」のようなものなので、困ったときにはお互い様で無際限に頼り、頼られるのが当然である、だから堅いこと言わずにみんなでなかよくやりましょう!!という考え方が一連の事態をもたらした、という解釈

(1)は、日本的公共性としての「オオヤケ/コヤケ」論を思わせる解釈で、これだと90年代以後の格差社会の暗部である、みたいなことになりますが、男Cがそこまで虐げられているという状況ではなく、この説明図式は妥当ではなさそうです。

〈つながり〉の精神史 (講談社現代新書)

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また、(2)のハッピーな考え方は、「きずな・つながり」が叫ばれる2010年代の期待される未来の社会像のひとつとしてありうるものなのかもしれませんが、このように「おめでたい」人間関係だけであらゆる業務が処理できるはずもなく、この点は、今回の案件とは切り離して、2010年代の日本社会のソフトなファシズム問題として注視していくべきであろうと述べるに留めたいと思います。

そして最後に、おそらく1960年代生まれで現在40代の世代にとって、よりなじみ深い図式としては、男Cもまた女Bの魅力の虜になっており、振り回されることに喜びを感じている、というのがあるかと思います。職場であるかプライベートであるかにかかわらず、すべての登場人物が恋愛感情によって動く、懐かしい「トレンディ・ドラマ」な説明図式ですね(笑)。

しかし残念ながら、男Cは、そういうのをとってもよく知っていて、「んな、あほなことがあるかいな」と思えるくらいにはオッサンでありまして、事態はそのようには推移しておりません。

上記の解釈は、このような予備的な考察を経た上での所見であるということを、あわせて申し述べておくことにしたいと思います。

以上)