近代大阪の青年と音楽

「大阪クラシック」、連日、大フィルのブログでレポートが出ていますね。

10年ほど前に、大フィル・メンバーが年4回大フィル会館で室内楽をやるシリーズがありました。曲目解説を頼まれていた関係で極力毎回通っていたのですが、そのころ若手という感じで出ていた皆さん(遂にコンマスもセカンドもヴィオラもトップが女性になった大フィルですが、そのシリーズでは田中美奈さんが弾くヴィヴァルディ「四季」全曲というのもありました)が、今は御堂筋でたくさんのお客さんの前でご活躍。いい感じです。

(ちなみに、そのシリーズ「大阪フィルのメンバーによる室内楽の愉しみ」も大阪市との共催でした。)

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そして、聴きに行けなかったオーケストラ・ニッポニカの演奏会は、公式サイトに、当日パンフレットの片山杜秀さんの文章がアップされています。

http://www.nipponica.jp/archive/22nd_note1.htm

市岡中、京都二中、北野中(以上いずれも旧制)、天商、関西学院、大阪外語学校……。音楽の話で大阪の学校名がこんなにたくさん出てくる文章は珍しいんじゃないでしょうか。

(そして作曲家たちの大阪時代を知ると、橋本國彦の後輩が大阪市長になって、菅原明朗や大栗裕を音楽に目覚めさせた楽隊の命運を握っているのが現在の大阪である、ということになりそうです。本人が気付いていないだけで、「無教養」とされる彼も、実は、濃密な文化的環境に飲みこまれ、翻弄されている駒のひとつに過ぎないのかもしれません……。彼が会いたいと切望して袖にされた住大夫師匠は浪高(旧制浪速高校、のちの阪大教養部の母体)から大阪専門学校(現近大)へ進み、軍隊生活を経てようやく、養父の六代目に文楽の世界へ入ることを許されたのだとか。みなさん、大阪の学校へ通いながら藝事へのめり込んだ人たちですね。)

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日本の作曲家のバイオグラフィは、まるで履歴書のように最終学歴からはじまることが多く、戦後の作曲家は、ある時期、ほぼ全員が東京藝大卒じゃないか、という状態になったりもしましたが、

藝大受験を目指して小学校の頃からレッスンに通う、というビニールハウス農業(←「害虫」(笑)のたくさんいる公共圏から隔離されたキャリア・デザインが、高付加価値商品ではあっても「温室育ち」と思わせる、の意味とご理解下さい)みたいな戦後流の音楽人材栽培法(←伝え聞くところでは楽理科へ入るための受験塾もあるらしい、戦後日本の「音楽」には、実技も学問も、「大学」を名乗るのは偽装じゃないかと思わせるところがある、そしてそれは「音楽・大学」の欺瞞というより、そういう場所へ藝術・文化を追い込んだ高等教育の制度設計の問題だろうという気がします、参考:http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/msj.html)が始まる前の時代の人たちの思春期を探ると、どういうわけか、大阪もしくは関西に行き当たるらしいんですね。

明治・大正の大阪の青年もしくは少年は、どのように音楽に目覚め、どのように音楽とつきあっていたのか?

ちゃんとやろうとすると、かなり大掛かりなことになりそうですが、「近代大阪の青年と音楽」は、なるほど一度考えたほうがいいテーマかもしれません。

仮にインテリに話題を限定するとしても、東京の帝大出身作家たちが描いたようなもの(要するに「舞姫」と「三四郎」と白樺派)を理念型として「近代日本の青年」を語るだけで満足していいのか。大阪の都市論はさかんですが、大阪(関西)の知識人社会学って、案外ないですね。

竹内洋先生も、京大なのに東京の知識人の話ばっかりだし……。

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)

(でも、ブルデューの議論は、フランスのように絶対王政以来の徹底した筋金入りの中央集権だから上手くいったのではないか。脚光を浴びる舞台はひとつで、たったひとつの舞台に立つことを目指すゲームに全員が参加している前提だから、ああいう議論になったのではないでしょうか? 日本で竹内先生がこれをやると、京大の東大何するものぞ、とか、戦後民主主義への保守論壇の逆襲、とか、別の文脈が発生してしまうような気がします。

帝大型インテリを「日本の知識人」の典型であると想定し、これをブルデュー理論で撃つ、という手の込んだ概念操作(自分の脳内で「敵」を作り、脳内シミュレーションで打倒している感なきにしもあらず)は、そのような概念操作へ駆り立てられた論者の欲望をちゃんと充足・開放してくれるのでしょうか。丸山眞男を一発ずつ殴ったら、それでみんな気が済むの? それはなんだか、社長になれなかった人がこっそり社長室へ忍び込んで、社長の椅子に座ってみる、という図に似ているような……。団塊世代がブルデューに名を借りたルサンチマンを老後の趣味にする、という図は、あまりよろしくないような気がするのでございます。

皆さん平和でそれなりに良い時代をそれなりに幸せに暮らしてこられたんじゃないかと、巨視的に見ればそう思います。ここへ来て事を荒立て、若者を扇動しなくても、と思うし、これから「お年寄り」モードへ入ろうという先人から若い者が学ぶべきは、そういう小競り合いの勝ち負けではないと思うんですよね。)

ただし逆に、「関西の知識人」で京都まで考えに入れると、京都ゆかりの知識人・文化人は相当な数になるから大変ですが……。

でも、近代大阪を情と欲で読み解くステレオタイプはもう飽きたので、何かいい手だてを見つけたい。

大きな宿題をもらった気がします。