承前:ヤマカズが振ればコバケンが儲かる、でどうか?

藝術の若き守護神を期待する(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120918/p1)、というある種の人々が今も夢見る「運動」にあまり興味がない皆さまにおかれましては、これでいよいよ、小林研一郎の時代が来る、という図式はいかがでしょう?

辻井伸行をヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝へ導いた先生、ということで横山幸雄が従来にも増して大きな仕事ができているように、山田和樹を育てた男、ということで、コバケンを再評価してはどうか。

ヤマカズ登場から玉突きのように世の構図を塗り替えようと画策するとしたら、大植英次の追い落としを狙うより(それだと「藝大閥の桐朋・私学イジメ、キター」って感じがしてしまいます)、やっぱり、ベクトルが向かう先はコバケンじゃないかと思うんです。ケナシ方向でなくホメ方向へ話が向かって楽しそうだし。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

  • アーティスト: 小林研一郎,チャイコフスキー,チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
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  • 発売日: 2001/01/24
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とりあえず片山杜秀『音盤考現学』を読み返しながら小林研一郎作曲「日本風とオランダ風の主題によるパッサカリア」を聴いて、さらにコバケンの師匠、石桁眞禮生の管弦楽作品を聴き直す。

石桁真礼生:管弦楽選集

石桁真礼生:管弦楽選集

山田和樹が指揮する東京混声のCDには、武満徹、團伊玖磨、木下牧子とともに、ロック・バンドを抑圧したことでも知られる佐藤眞が取り上げられていますが、

佐藤眞:「土の歌」/團伊玖磨:「筑後川」/木下牧子:「鴎」/武満徹:「うた」より

佐藤眞:「土の歌」/團伊玖磨:「筑後川」/木下牧子:「鴎」/武満徹:「うた」より

  • アーティスト: 東京混声合唱団,東京交響楽団山田和樹,東京混声合唱団,佐藤眞,武満徹,團伊玖磨,木下牧子,山田和樹,東京交響楽団
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  • 発売日: 2010/09/17
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東京混声で次々出ているCDの曲目は面白いですね。山田和樹のホームポジションはうた・合唱かも、という気がしました。

「断頭台への行進」でも、トランペットのメロディーの頂点はここ、という歌唱指導風のジェスチャーを同じ旋律が出てくるたびに律儀に4回繰り返していましたが、あれは合唱指揮の先生体質なのかもしれません。(しかも音感教育の優等生なので、五線の上での音の「高い/低い」がメロディーの造形の判断基準になっていて、そのように五線が見えるような音楽作りをすることによって、「西洋合理主義」を崇拝する人たちの評価が高まる、という正のスパイラルに乗っていると思われます。)

大植英次あたりが音楽を作っていくやり方は、もうちょっと感覚的(やや恣意的)で、だから、音を聞いたら五線が頭に浮かぶ人たちを苛立たせるわけです。

「ミッレドッレミッファッラッ!ソ〜〜♪」

は、一番高いラの音でちゃんと背筋が立っていないと気持ちが悪い、という立ち居振る舞いこそが、武家の能楽に似た新時代の式楽を目指す音楽取調掛以来150年の取り組みの精髄であり、それを解さない者は異端である。本家西洋とはかけはなれたところで洗練された「日本の洋楽」にとって、うた・合唱は大事な領域なんでしょうね。ソルフェージュが剥き出しになる「近代の謡曲」ですから。

これが俺達の音楽だ

これが俺達の音楽だ

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ただし、これから本気で西洋人相手に仕事をしようと思うんだったら、この「ドレミ」体質は、いわばカタカナ英語みたいな日本のローカルルール、「ピジン・ソルフェージュ」ですから、克服した方がいいんじゃないかなあ、と思います。こういうフレージングを西洋人相手に強制すると、小澤征爾の演奏がそうであるように、一人前のオトナが童謡を歌っているかのような奇妙な感触の音楽になる危険があります(←おせっかいかもしれない忠告、でも○○氏とか、この壁を越えられないから、とてつもなく耳が良いのに「日本の指揮者」で止まっていたりするわけで、結構根深い問題だと私は思います、大久保賢さんも「ドレミ」体質が染みついている人で、そこを克服したらもっと自由になれるのになあ、といつも傍目に思うのですが、どうやら大久保氏には、「ドレミ」体質の圏外に棲む悪魔のような生物を「カラヤン的」と形容する思考回路が擦り込まれているようで、だから大植は彼にとっては「カラヤン的」だし、私も、かつてそれなりに知恵を絞って準備して宴会の余興でピアノを弾いたら、大久保賢から「カラヤンみたいだ」と言われた(苦笑))。

せっかくだから、これからは清水脩とか下総皖一とか、往年のグリークラブな雰囲気が濃厚にただようレパートリーへ遡っていただきたい。たぶん、「藝術の守護神」好きな人たちにもお覚えめでたく、実によろしいのでは、という気がします。

男声 月光とピエロ 清水修 合唱組曲1 (清水脩合唱曲全集)

男声 月光とピエロ 清水修 合唱組曲1 (清水脩合唱曲全集)

私は石桁眞禮生「卒塔婆小町」を是非一度舞台で見てみたいので、小林研一郎を入口にして、この周辺の方々への関心が高まって欲しいです。(まだ、誰も再評価に本格的には手を付けていない領域ですよね。もちろん一門が今も立派に存続しているのですから、再評価などという言い方は失礼かもしれませんが。)

石桁真礼生 歌劇「卒塔婆小町」 (オペラ・ヴォーカル・スコア)

石桁真礼生 歌劇「卒塔婆小町」 (オペラ・ヴォーカル・スコア)

フランス一辺倒だった別宮貞雄先生とか池内一派とはまた別の方向から、「現代音楽批判」の格好のトピックだと思うのですが……というより、大久保さんの作曲修行的な出自もこのあたりじゃないかと思うのですが、どうでしょう?

日本旋法のソルフェージ (1969年)

日本旋法のソルフェージ (1969年)

図書館で借りて読んだら、丁寧に作られた良い本でした。

ヤマカズとコバケンをフィーチャーした「大日本音楽会」を誰かが企画すると面白いと思うのですが……。チラシに熱いメッセージを寄せてくれそうな人の名前が色々思い浮かぶじゃないですか。

片山杜秀の本(1)音盤考現学 (片山杜秀の本 1)

片山杜秀の本(1)音盤考現学 (片山杜秀の本 1)

その音楽の<作者>とは誰か リミックス・産業・著作権

その音楽の<作者>とは誰か リミックス・産業・著作権

このあたりの藝大人脈をちゃんと整理すると、増田聡が一発当てた「大地讃頌」事件なるものを、別の角度から論じ直すことができるかもしれないヨ。

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というわけで、ブザンソンから3年も経って大阪へ来襲したヤマカズ問題。

かつての大澤壽人の件は神戸の人なので3年遅れの蘇演ラッシュに関西が頑張って応対するのは理にかなったことであったと思いますが(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120913/p1)、こっちは、さしあたり純然たる「東京マター」なのですから、大阪のオーケストラへ話を振る前の段階で、もうちょっと事態を整理しておいてくれたら、私どもが素手でゼロからあーでもない、こーでもない、と大騒ぎすることなしに、すんなり行ったのではないかと、多少の不満がないではない(笑)。

昔の関西のエエトコの人たちは、そーゆーところが東人はガサツだ、とか言ったわけですが(『細雪』にもそんな台詞が出てきて、幸子は東京が大嫌い)、

使用上の注意とかが丁寧に整理されない案件が突然「中央」から降ってくることへの不満が、「維新、東上すべし」という昨今のあの人たちの勢いの遠い原因ではあろうかと思います。

東京のツケを大阪が清算しているようで、ヤマカズな週末はちょっと変な感じでしたね。