これで二百年の虚しい俗流近代音楽論の「音の自立」幻想(西洋音楽文化は自立的と「みなした」だけで実定はしていない、自立を実定できると信じるところから悲喜劇が起きた)を清算できるか?
視覚はフロント(網膜像)からの信号で概ね閉じているのに対し、聴覚はフロント(鼓膜)からの情報は相対的に重要性が低く、視覚や触覚など他の処理網からの情報を通じて「逆向きに」(しかも遺伝的というより環境的に)補正される。このような神経ネットワークは人間特有で、それが言語を可能にする。
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人は誰しも、一度は聴覚の認知心理学の門を叩き、その無邪気さに絶望する経験を経て「音楽」の研究に目覚めるのかもしれませんね(笑)。
めずらしい耳の錯覚のサンプルを集めた「音楽の科学」(自称「理系」)と、他の領域では使用されない専門用語集の保守管理を基本とする「音楽理論と音楽史」(自称「文系」)の二頭立てで天守閣を築いて、その周囲に「情操教育」の掘り割りを巡らせるのが、戦後「大学」になった各地の音楽学校における音楽学という学科(高校までの学校教育の常識に照らして存在意義がありそうだと通俗的に納得できる「教科」)の基本装備だったようにも思われます。
(平安時代の貴族の住居を「寝殿造り」としてイラスト化できるように、昭和後期の日本の「音楽学の先生」の研究室とは、そのような形が理念型だったのかもしれません。)
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上で引用した知見は、「聴覚」と「音楽」が別のレイヤーであることを言っているとともに、「聴覚」が、「音を聴く」ことに向いているというより、「言語」(という諸知覚が混淆したヒトの活動)をハンドリングするのに向いた器官なのかもしれないことを示唆しているように思いました。
ドイツ近世音楽をちょっと本格的に学ぼうとすれば必ず知ることになる「趣味の混合」というスローガン(昔の全音のバッハのポケットスコアの解説(by 辻荘一)あたりにも書いてあったはず)が、ドイツ・ナショナリズムの文脈に流し込むと音楽を専門としない先生方の間で新鮮な驚きを呼ぶ、というように、専門家とそうでない人の間の情報のバイパスは、絶えずメンテナンスしておかないと、すぐに詰まってしまいますから、
住居の定期的な保守管理の一環ということで、
「かつて音楽とは言葉の影であった」説(19世紀器楽の「絶対音楽」論の前提となるそれ以前のパラダイムだと仮定されている)も、聴覚のレイヤーと「音楽」(言語のサブセットとしての)のレイヤーの関係を再定義する枠組みに入れると、うまく広まるかもしれませんね。
私は、西洋の楽譜がネウマから五線譜まで、「左→右」の横書きなのは、歌詞がない場合であっても、潜在的に、楽譜は「歌詞=言葉」の上に書き添えるものだ(言葉の「影」、サブセットなのだから)、という認識の暗黙の枠組みがあったんじゃないかと思っています。
(同様に、日本の楽譜は、縦書きの詞章の左右どちらかにゴマ譜などを添えますし。)
以前にもご紹介しましたが、明治初期の唱歌の楽譜は、日本語を「左→右」に横書きする印刷物として先駆的な事例らしいです。洋楽の導入によって、「横書きの音楽言語」に引きずられるかたちで日本語の横書きがはじまった。音楽はそういう現象を引き起こすくらい、近代になっても「言語」であった、ということかもしれませんね。横書き登場―日本語表記の近代 (岩波新書 新赤版 (863))
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