日本では未来ある人に先輩風が吹き荒れる

影響の不安―詩の理論のために

影響の不安―詩の理論のために

中途半端に影響受けちゃったアメリカの音楽学者にタラスキンが苦言を呈する文章が、『ニューミュージコロジー』に入っているが、影響の痕跡を握りつぶしたりする闇黒面は、凡人が普通に見聞きする話ではないかと思う。

ブルーム的「影響」の血みどろ感は、案外、「ブレードランナー」にミルトン的な堕天使のイメージが重なる80年代アメリカ的想像力(ポストモダンと呼ばれたような)に近いのかも。

ブルームの議論は、清廉潔白に今の地位を築いたと信じ、周囲から信じられているトップ・エリート(ブルームの言う「強者」というより「強さを得たい野心家」)に「のみ」ピンポイントで効く。日本の音楽研究だったら、ターゲットは本郷と上野、そういうことではないか。

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

  • 作者: 福中冬子,ジョゼフ・カーマン,キャロリン・アバテ,ジャン= ジャック・ナティエ,ニコラス・クック,ローズ・ローゼンガード・サボトニック,リチャード・タラスキン,リディア・ゲーア,ピーター・キヴィー,スーザン・カウラリー,フィリップ・ブレッド,スザンヌ・キュージック
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2013/04/28
  • メディア: 単行本
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(なお、アルトゥージvsモンテヴェルディ兄弟の論争からブリテンまでのオペラにジェンダー論、クイア論を導入した1990年代の論文を紹介する第2部が、本書の一番実り多い部分ではないかと思いました。クイア論に「本質主義」(当事者が一番わかる、当事者でなければわからない、式の)の危険がある、と指摘する訳者解題も、ピアニストの音楽エッセイが妙に売れてしまう最近の傾向に鑑みて、過度の「本質主義」はいかんよな、と納得させられます。「当事者が一番わかる、当事者でなければわからない」式の議論を指して「本質主義」と呼ぶ、というのが言葉の使い方としてのオーソドックスなのかどうか、不勉強で私にはまだ判断できませんが。)

魅せられた身体―旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代

魅せられた身体―旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代

コリン・マクフィーとブリテン、ゲイとガムラン、そういう切り口があったとは。

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話が変わって、

あくまで一般論ですが、

米国から日本に戻ってキャリアを作ろうというのであれば、最初の一歩は、一刻も早く、売れなくてもいいから、自分の研究を本にしておくことではないかと私は思います。

近代仏教教団とご詠歌

近代仏教教団とご詠歌

こんな風に。

それがあるとないとでは、10年後20年後が大きく変わるはずです。私や増田がそこから完璧にはじき出されている「本物の学者」を目指してはどうでしょうか。

無名だけど出版社とコネをつけられる世渡り上手で、実質的にはまだ「自称」でしかない研究者が一生懸命書くけど穴のある新書は、もう飽きられはじめています。読者もバカじゃない。出版点数を維持するために惰性で粗製濫造が続いているだけのことですし、そういう風に、まるで「売れたいなら脱げ」と言わんばかりのオトコたちのアドヴァイスは、通常、きっぱり拒否して大丈夫です。

ラテン・アメリカがマイナーである、など不見識も甚だしい。ちゃんと語れる人が出てくるのをみんな待っています。

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ついでに言うが、学会のメーリングリストの広報メールに、誰が頼んだわけでもないのにモデレーターが「私信」を書くのは止めて欲しい。私たちはキミのお言葉を読むために会費を払っているわけではないし、キミの言葉でなごんだりはしない。