[以下の話を、「オレを認めろ!」の中二的な承認欲求と誤解する輩がいることには苦笑せざるを得ない。「わたし」でも「あなた」でもない他者の存在を記述し肯定する訓練を経ない学者が「理論」という名の自己中を拗らせる好例と言えよう。息子に自転車の乗り方すら満足に教えられないらしいが。]
単なることば遊びですが、それぞれの間に原理的な区別をつけられるのだろうか、と不意に思いついたので。
とはいえ、政治ではなく学問のことを考えていて、
可能なかぎり普遍的もしくは汎用的な「法(則)」の定立を目指すことと、個別事例の記述による肯定、知の時空への登録を目指すことは、ごっちゃにするとおかしなことになるけれど、役割を固定することなく、時と場合に応じて両方やったほうがいい、やれたほうが健全で風通しがよくなりそうな気がする。
東浩紀の仕事って、常に壮大な舞台装置を導入する「批評」として大々的に挙行されるのだけれど、やろうとしていることは「オタクの擁護」で、この壮大な舞台装置のうち使えそうなパーツを学問(法則定立系の)に採用することとは別に、「オタクの擁護」方面を、「それは学問じゃなく批評の仕事」という風に線引きしてしまっていいのだろうか、とちょっと思った。
それだけの思いつきです。それは、単なる「内向きの言説」なのか、学者とは知における「法の番人」であればいいのか。そっちへ力点を置きすぎると、「利権」に傾くリスクを恐れずに個物の「権利」を擁護する倫理がおそろかになるような気がするのです。
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
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オタクとゲーマーの差異、というのも気になるし……。ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
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(そういえば、橋下維新の背後にグローバリズムが控えているんだよ、それでいいの、というのが平松陣営の戦術になるらしき気配ですが、問題は、そのようなイデオロギー対立の図解ではなく、「大阪市民のエゴ」を代行してくれる存在がいないことではないだろうか。少なくとも、豊中市民の橋下くんは、(冷静に考えると「大阪市民の」ではないのだけれども)「エゴ」を頑強に押し通す姿勢だけは何があっても崩さなくて、それでそっちへ周囲が引っ張られていくのだと思う。逆方向へ引っ張り返そうとするのであれば、それ相応の「エゴ」が要る。(そして同時に矢継ぎ早に「法的強制力」で相手をがんじがらめに縛って、身動きできないようにしちゃいましょう。)
ナチス台頭を許したドイツ社会民主党のプロパガンダの失敗も、結局、それだったんじゃないのかしら。理論的に超克するだけじゃ勝てないと思うし、政治は勝たないと意味がない。おじさんの老後の遊びじゃないんで。
アーツカウンシルな佐藤千晴さんには、この際なので徹底的に市長との対決姿勢を打ち出していただいて、そのまま次の対立市長候補、大阪市初の女性市長、ローザ・ルクセンブルクからメルケルへの華麗なる転生、ということでどうでしょうかっ! 万物は己がのし上がるために存在するのだ、内側から食い破れ、応援しまっせ。)
大衆の国民化―ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化 (パルマケイア叢書)
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