時代と世代、1980年代後半から1990年代前半のこと

世の中の動きに不連続な断層が感じられる局面というのがあって、そういうことを世代論(旧世代と新世代の確執)の枠組みで語るとわかりやすいと考えられるようになったのはいつからなのか。

東浩紀が1990年代に書いた文章を集めた文庫(2010年段階での回顧インタヴュー付き)を読みながら、そんなことを考えた。

郵便的不安たちβ 東浩紀アーカイブス1 (河出文庫)

郵便的不安たちβ 東浩紀アーカイブス1 (河出文庫)

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私自身になじみのある音楽の話で言うと、ベートーヴェンやロッシーニが生きている間に文学上のロマン主義が胎動して、ウェーバーやシューベルト(ベートーヴェンより20歳前後若いがほぼ同じ頃に相次いで死んだ)が出てきたことは、同時代における世代の違い、と見れば、すっきり説明することができる、というか、音楽史の授業は、いつもそういう風に組み立てています。

フランス革命以後の社会不安に「オトナ」として対処した世代と、革命の先がどうなるのかわからない時代に少年期・青年期を過ごした世代では、時代の見え方、振る舞いに差が生じた。そして1810年前後生まれで、1830年頃に成人したさらに次の世代が、前の2つの世代の混濁した生き様を事後的に整理(ブルームの「影響の不安」流に言えば「誤読」)して、歴史を語り直した(1810年世代の「強い」音楽家は、シューマンもベルリオーズもワーグナーも、自ら「書く」力のある教養市民層の出身だった)。それが音楽におけるロマン主義(19世紀はロマン主義の時代であった、とする音楽史観)だと言いうるように思います。

影響の不安―詩の理論のために

影響の不安―詩の理論のために

この本を音楽史に援用するんだったら、吉田寛先生の生誕200年記念シューマン論みたいのでなく、こんな感じに使って欲しかったなあ、と私は思っているのです。

一般に「清新な若さ」が時代を制する可能性が高い環境では、この種の世代論が有力になり、「滅び行く旧世代」と「未来を担う新世代」への色分けで時代の転換を語る図式が受け入れられる傾向がある。ひょっとすると、そのプロトタイプがフランス革命(18世紀から19世紀への転換)だったのかもしれませんね。

「大戦争」(第一次世界大戦)の前と後(=「昨日の世界」と「現代=今日の世界」)の色分けとか、1950年代の前衛・実験音楽運動とは何だったのか、とか、ポピュラー音楽/文化を語るときに避けて通れないかもしれない1968年問題とか……。

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東浩紀が1990年代に書いた文章は、1980年代半ばから1990年代半ばまでのほぼ10年間を1990年代の視点で語っていて、その語り口には、文章ごとに濃淡があるにせよ、「新世代がそこに事件を検出しているというのに、旧世代は鈍感すぎてそのことに気付いていない」という苛立ちが滲んでいるわけですが、その後の彼の努力もあって、ここで言及されている多くのトピックがだいたいどういうものなのかおおよそ了解できる状態になっている現在、これを読み返すと、「あの10年間のザワザワ感」は、新旧世代の情報感度の差というよりも、「なんだかとっちらかって、誰もが他人にかまっていられない状態」だったような気がしてきました。

大状況としては、共産圏の自壊による東西冷戦の消滅、ならびに、ニッポンの王様の代替わりがこの10年の真ん中にあって、ニッポンの土地投機バブルとその崩壊、ということなわけですが、どうも、そんな風に、みんなが同じ話題に注視して、同じ土俵で同じ事柄を語り、それを軸に人と物が動いていた感触がない。

もちろん、メタレヴェルに話の次数を上げて、こうした「とっちらかった感じ」を指す概念としてシュミラークルとかポストモダンという言葉を使う立場があり得て、東浩紀はほぼその旗頭だとは思うのですが……、

落ち着いて考えてみますと、「あの10年」のあとになっても、「なんだかとっちらかって、誰もが他人にかまっていられない状態」が原体験として稼働し続けて、その「土台なき土台」の上に今がある、という風に言えるのか、そこは、どうもよくわからない。

ブレードランナー クロニクル [DVD]

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たとえば、ディストピアなサイバーパンクのフィルム・ノワールとか、「エヴァンゲリオン」のアスカが精神汚染されたり、美少年が登場するあたりは、何度見直しても、わたくしには見るのがシンドイし、このしんどさを「ポストモダン」とか「シュミラークル」という標語に回収できるのか、よくわからない。

むしろ、「1968年」体験者が、それを原体験としてその後を生きた人(いわゆる「全共闘世代」と自らをアイデンティファイする人々だが、少数なのに声がでかくて目立っただけ、という説もある)と、そうではない人に分かれた程度に、「あの10年」が決定的だと思う人と、通過点のひとつと思う人に分かれるのではないか。そして何らかのこだわりを持つとしても、こだわりの対象が「なんだかとっちらかって、誰もが他人にかまっていられない状態」であった以上、それへの決着の付け方も、共通の形に収まることなく、「人それぞれ」になっている可能性が高いのではないか。(たとえばアカデミズムの左派と右派へ撤退して知の永久革命や直進性を信奉する人がいて、そういう立場が一定の「成果」を上げつつあったりもするわけですし。→http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130605/p1

どうして「あの10年」があんなにとっちらかってしまったのか、一度「ポストモダン」という言葉を外して、落ち穂拾いをしたほうが、歴史記述としては生産的なんだろうなあ、という感じを私は抱いております。

(もうちょっと話は続きますが、ここに続けて書くか、エントリーを別に立てるか、まだ決めかねているので、ひとまずここまで。)