職業倫理、自戒を込めて

前のエントリーはほんの少しずつ書き足していますが、最後に追加した一文、

それがソーシャルの強み、とか甘い言葉に誘われて、頭の中が整理できてないんだろうね。ネットにありがち。

…… - 仕事の日記(はてな)

まで見ていただいたという前提で、話を先に進めます。

(1) コンサートの集客は、ひとりの人間の余暇にあてることのできる時間・予算には限りがあるのが普通で多種多様な競合メニューとの取り合いになるはずで、自分のところが増えたとき、その大半はライヴァルから流れてきていると考えるものなのだろうと思います。だから、開拓の余地のある「新規の客層」が本当に存在するかどうかということは、余暇の過ごし方として競合している多種多様なすべてのメニューの集客を足し合わせた総数が本当に増えたり変化しているかどうかを確認しないとわからないはずで、そこまで大掛かりな市場調査が関西のクラシック音楽に関わる範囲でなされているのか、正直私はよく知らない。(各主催者さんは、この集計にかかわる自分のところの集客総数を簡単に外部には公開しないんじゃないかと思うのだけれど……。)

(2) (1)はすなわち、自分のところの集客数の増減が、本当に自分の営業努力の成果/不足によるのかどうか、そう簡単には理由がわからないことを意味する。例えば、新しい営業・広告方法に乗り出したちょうど同じ時期に有力なライヴァルが何らかの理由で大きく集客数を落とす問題を抱えていた場合、仮に自分のところの客足が伸びたとしても、それが、自社の営業努力なのか、ライヴァルの分が流れてきたのか、よほどうまくリサーチ・分析しないとわからないはず。実情は、「理由はよーわからんけど、最近こういうお客さんが増えているので、とりあえずそういうお客さんのための対応を強化しよう」と、そんな形でやっているのだろうと思う。

(3) しかしながら多くの場合、新しい営業・広告方法を売り込む企業は、(1)や(2)を踏まえたデータを総合的に分析するよりも、とりあえず数が伸びたのは、うちのやり方を採用したおかげですよ、と言いたがるだろうことが容易に予想できる。だってその人たちは「営業・広告」のプロなんだから(笑)。

以上は、シロウト考えではあるけれど、同じ人間のやることなんでおおむね原則的には間違っていないだろうと思う一般論。(音楽に限らず、過去10年くらいインターネットを使ったコミュニケーションツールが出てくるたびに、「こう使えば売り上げアップ!」と言われて、でも、成功事例と喧伝されたものがあとでちゃんと分析すると本当にそこまで画期的なことだったか?と評価の揺り戻しがあるのが常。大きな流れとしてコンピュータネットワークを利用する領域が大きくなっていくのは確かだろうけれど、何か出てくる度に「ビジネス」で細かく利潤を拾うのが本筋かというと、どうやらそうではなくて、もっと骨太にポイントをつかんでおかなければ、この現象と上手くつきあえないように思います。)

そしてしかも、

(4) 関西のクラシック音楽は、過去数年間、かなり大きな出来事が同時に平行して複数起きているので、通常以上に、客足の増減の理由を読みにくい環境だと言わざるを得ない。

このように考えていくと、周りのトータルな状況をちゃんと見ようとしないで、特定の営業・広告方法に「御利益」がある、とか、今は「新規開拓」の時代だと言う人があるとしたら、その人の営業センスを疑わざるを得ないと私は思う。まあ、何を信心するのも人の自由なので、やってみればいいとは思うけど。(一般論では片付かない個々のその時々の事情もあるのだろうし。)

というのが第1点。

第2点は、

コンサート文化において、「○○は良かった/悪かった」と感想を述べて、善し悪し好き嫌いを判断するのは、コンサートに来てくださったお客様の、最大にして最優先で犯すべからざる権利だ

ということ。

(この権利に抵触しかねない仕事であるがゆえに、評論家は問題含みになる。でも、色んな事情で、あるとき誰かが個人の名前と存在をさらして、ものの善し悪しを公言しなきゃいけない巡り合わせになることがあるんですよ。そしてそういうときのために、必要悪として「評論家」が飼育されている、くらいに考えておくのがいいと思う。葬式のために火葬場がいる、みたいなものです。そして資格試験をやっても、資格を取るインセンティヴのない割に合わない仕事なので、もののわかった人は誰も試験を受けないと思う。そしてもちろん、死体の処理と違って、コンサートの感想を言うことに医師の死亡診断書や市町村の埋葬許可書は不要なので、音楽ホール(いわば音楽の葬儀場)が、うちは自前で遺体を焼却するので、火葬業者(評論家)は要りません、と宣言しても何ら問題は生じない。とはいえ当方は仕事にプライドを持っております。最近の新興業者がご遺体をどのように処理されるのかは知りませんが……、当方は、万全の対応を期して、きれいに焼いて、一定のご評価をいただいていることを言い添えまして、閑話休題。)

ということで、善し悪しはお客様がご判断すること、という権利を踏みにじるようにして、「○○はお薦め、間違いないです」とお客様に向かって触れ回る人がいて、しかもその○○がその人の仕事絡みの案件だとしたら、その人は、よほどせっぱ詰まって背に腹を帰られないのか、頭に血が上って物の軽重を判断できない精神状態なのか、さもなければ、いかがわしいシロウトだと考えて差し支えない。

そして「シロウトではない者が何も知らない無邪気なシロウトのふりをして、その種の悪質な宣伝を流しまくること」をステマと呼ぶようです。

人間誰しも間違いはあるし、人それぞれに事情はあるので、一度や二度なら見のがしもします。でも、常習ということになると、友人知人同僚が「誰か言ってやれよ」ということだと思う。

それとも、恐くて誰も何も言えないの? それ意味わかんないし。

以上

もちろんこれは、常にすべての音楽関係者が、自分自身に跳ね返ってくると自戒して受け止めるべき最低限の職業倫理であるはずだ、というつもりで書いています。ただし、どこかに「もうひとつの音楽」があって、そのような「もうひとつの音楽」を「新規客層」な方々のために提供する新しいビジネスが立ち上がったのだとしたら、それは、別の業種なので、ここで述べた話のかぎりでないのは言うまでもありません。コンピュータに virtual reality という観念が常につきまとうのは、決して偶然ではないのでしょうし。