関西ナウ:音楽を仕切る女性たち(コラム風に)

私は自分から「音楽評論家」を名乗ったわけではなく、京都新聞で音楽評を書くことになって、掲載紙面を見たら何の断りもなく「音楽評論家 白石知雄」と書かれていたので、以来、そのままにしているのだ、ということは何度か書いたと思います。

ある時期まで、「関西の記者会見は、おじいちゃんたちが取材そっちのけで演説をはじめる」と東京の音楽関係者から奇異の目で見られていたそうですが、京都新聞も、文学青年がそのまま大人になったような文人記者さんが担当で、ひょっとすると私は、そういう記者さんたちに育てていただいた最後なのかもしれませんね。

6、7年経って、関西の音楽評論家の親睦団体へ入れていただいたのですが、そうしたら、そこにはそのような文人記者OBな方々などがいらっしゃって、それはいいのですけれども、大阪のお仕事をいただくようになったときに、真っ先に近づいてきたのは、それぞれに会社の最前線でお仕事をしていらっしゃる女性な方々なのでした。

ある人は、「○○さんも、××さんも、ここからスタートしたんですよ」と、(あなたも、そんな風になりなさいね)を言外に臭わせたり、別の人は、少し話してこちらが年下だと見るや、それ以来ずっと「白石クン」と私のことをクン付けで呼ぶアネゴ様であったりして、これはいったい何なのか、2000年代の関西音楽業界は、そういう一面があったですね。

今はもう、どの業界であろうと、有力なコネがあればスイスイ出世できるような景気のいい時代ではないし、そんな人事を不可能にするしくみが急速に整えられつつあることは大学院時代にたっぷり見聞しています。それに趣味のつきあいを通じて、同年代の会社勤めな方々は、もはや、縦社会バリバリな人間関係を社外やプライヴェートへ持ち込むようなことをしなくなっていることも知っていたので、私にとっては、「記者会見で演説するおじいちゃん」(それはむしろカワイイとも言える)より、「キャリアウーマン」というちょっと古めかしい言葉が似合うライフスタイルなお姉様方に遭遇したことが、なによりの「大阪の衝撃」だったのでございます。へえ、こういうことになってるんだ、という感じ。

皆さん、心なしか「オトコに伍す」感じがあって、そこが、文化業界ではおなじみの、ご自身が資産家であったり、資産家との強いコネクションをお持ちでいらっしゃるマダム系な方々とは違うし、私と同世代かそれ以下で、関西で仕事を覚えて東京へ移りステップアップしていった才女たち(そういう人たちも何人かいた)とも、また違った雰囲気を備えていらっしゃるのでした。(人間を勝手に分類するのは失礼なことではありますが、逆にそうしたお姉様方は、オトコたちを脳内で瞬時に「使える/使えない」とカテゴライズしながら闘っていらっしゃるようですし、個々人の多様性を分類・線引きで単純化する話法が話をわかりやすくする上で有効な「必要悪」であることを認めてくださるものと信じます。)

東京での実績を踏まえて関西を任された、という形になっているケースが多いようで、周囲のオッサンの尻を叩いて、文人記者の青臭い音楽談義をジャーナリズムから一掃しながら後進への道を切り開いた功労者ということになるんだろうなあ、と思います。

演説する文人記者たちが朝比奈隆を応援団的に報じる時代があって、世紀が変わってからは、大植英次や佐渡裕のパブリック・イメージをこういうお姉様方が取り仕切る十年であった、みたいに言えそうです。そう考えると、昨今の、おそらく東京からご覧になってどういうことなのか、とお感じになる方がいらっしゃるかもしれない論功行賞的な人の動きに、見通しが付くのではないでしょうか。

さて、そろそろまた、音楽家のほうで人の動きがありそうな時節がやって来ますが、次の十年はどうなるんでしょうね。