イベントとルーティン

創られた伝統 (文化人類学叢書)

創られた伝統 (文化人類学叢書)

  • 作者: エリックホブズボウム,テレンスレンジャー,Eric Hobsbawm,Terence Ranger,前川啓治,梶原景昭
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 1992/06
  • メディア: 単行本
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物事を計画する人の都合だけでなく、そういうことへお金が流れてくる具合とか、大小様々なメディアが何に飛びつきたいと思っているか、とか、いろいろな巡り合わせで、今年の「芸術の秋/文化の秋」は、行事ごとの多い季節になりそうな予感がある。

私個人は、実父の死とか、生物としてこれは一生に1回しか経験できないはずなので、付随して色々行事があったりするわけですが、それはともかく、

とりあえずクラシック・コンサートに関しては、前にも書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120720/p1)今は「ルーティン」が少なすぎると思います。大きな声では言えませんが、普通、オーケストラなんかな年間に自主定期公演を毎月やっていたら、全部パーフェクトな選曲で万全のキャストで準備・稽古も万全、とかありえません。「ルーティン」込みだから続くんだと思います。(毎週の講義とか、連載とか、連続ドラマとかだってそうでしょう、たぶん。)

それでも埋没したら困るので、全体のテンションが、多少奇妙であっても高いときはそこへついていかないといけないけれども、同時に、長く続ける(続けられる)ことを考えてやってるかどうか、というのは、心配しなくても、面構えでわかります。

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routine と言えば、ホブズボウム大先生の有名な「創られた伝統 invented tradition」もしくは「伝統の創出 invention of tradition」は、この概念を最初に出した共同研究の序論は、invented tradition と convention と routine を区別する概念規定なんですよね。

たぶん「創られた伝統」という概念は、convention、routine との対比で言われたのだ、というところをちゃんと確認して使ったほうがいいんだろう、というところまではわかるのですが、convention と routine をどう訳すのがいいのか、短い文章なのだけれども、私にはまだピンと来ない。とくに routine とは何か、なかなかくっきりとイメージできずにいます。

convention や custom は英国経験論のキモのような概念だと思われ、色々と論の蓄積がありそうですが、routine でホブズボウム先生が想定しているのは、労働の決まり切った作業、とか、そういうことのようで、「慣れ」と呼べばいいのかとは思うのですが、どういう方面を勉強すると、routine という現象の取り扱いがわかるのか、私にはよくわりません。

ホブズボウム先生的にも、大したことではないと思っていそうな節があって、でも、本当にそうなのかどうか。どこかに、routine を正面切って論じた人はいないのでしょうか? ルーティンの哲学とか、慣れの社会学とか、微妙にルーズでだらけた感じが、案外、探究しがいのあることだったりしないのだろうか。routine を定式化した経済学とか……。

社会の構造と変動 (社会学ベーシックス2)

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「2:8」の法則とかのヴィルフレド・パレート先生は、死後ムッソリーニに利用されてしまった数奇な巡り合わせといい、何かそいうことを洞察していそうな雰囲気なのかも、と思ったりするのだけれど……。