「関西オペラ界の青春 歌劇『夫婦善哉』初演の顛末」『大阪春秋』152(平成25年秋号)

というのを書きました。9月25日から大阪市歴史博物館で開催される特別展示「織田作之助と大大阪」に連動した特集「大阪に生きるオダサク 織田作之助生誕100年」に寄稿させていただきました。

大阪はダメなオトコがたくさんいる街、という大阪映画のクリシェがあるようで、映画「夫婦善哉」は、アカンタレの男としっかりモンの女が織りなす大阪映画の定番ということになるようです。

で、

(a) そーゆー大阪が好っきゃねん

の派閥と、

(b) それだからいつまでたってもダメなんです、ボクと/アタシと一緒に大阪を変えましょう!

の派閥(維新?)が両極にあって、

でもおそらく、その中間に様々なグラデーションがあり得て、織田作之助とは何者か、どこに注目するか、というのは、この座標軸とどう向き合うか問題になるところがあるのかもしれませんね。

そもそも、織田作之助とかっちりフルネームで呼ぶか、オダサクと呼ぶか、というところで早くも距離感が全然違いますし。

それはもう、「地域への貢献」とか、そーゆー役所の書類用語では済まない話であって、ですなあ……(以下略……せずにちょっと書くか、「「大阪から文化の発信」って、並大抵のことやないで、一度読んでみてえな、今やったら兵庫芸文とかびわ湖ホールとかがやっとることの、さらに上を行くつもりやないとあきません、逆に言うたら、脈があるのはそこぐらいや、でっかいことやろうとしとるところをみんなで応援せんでどないすんねん、「みんな平等に書いてよ」って、あそこはあそこ、あんさんらとは規模や趣旨がちゃうやんか、優劣というより、それぞれ色々」……というような意味においてオペラはデカい、と改めて身に染みる夏だったのです)。

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ただ、特集の力点はやっぱり今はまだ歴史博物館のテーマにもあるように「大大阪時代の作家」というところにあって橋爪節也さんもご登場ですし、昭和32年の歌劇は微妙に外れるというか、昭和30年の映画に便乗した感じの、織田作之助没後10年経って、復興から高度成長への転換にともなう文化の組み替えの一環として生じた「第二の波」の話かと思います。なので、ちょっと他から浮いてるんですが、まあ、こういうのがひとつくらい入ってもいいのかな、と。

雑誌の性格上、オペラ論ということでもなく、指揮の朝比奈隆と演出の武智鉄二という有名人は今回は脇に配置しまして、けったいな企画のなかで、作曲の大栗裕と脚色の中沢昭二は何をやったのか、にフォーカスしてみました。特に、昭和2年生まれの放送作家・中沢昭二について、一度ちゃんとわかっている範囲で書いておきたかったので、そんなお話になっております。

まずしっかり考えられた台本があって、話はそこからはじまる、という風にしてみたかったというのもあります。オペラは、もう東京芸大声楽科が「歌の充実」を掲げる「第二期」じゃないのだろうし、やっぱりそういう順番だろう、と。

よろしければどうぞ。