え、こんな初歩的なところでつまづいていたの?

原文を「クラシック→ラテン語」「ジャズ→英語」と変換すると、修道院の外を知らない中世人が俗語の文法書を読んで目を丸くしている図になる。

手持ちの英語教本を読んでみると、動詞の活用が極めてイージーなのに驚かされる。あるいは、ラテン語の見地からすれば、およそとんでもない時制の扱いが散見されるのだ。これはたまたま私の手持ちのものがそうなのか? いや、数冊持っているもののいずれにも、同じ傾向が見られるとなると、やはりラテン語とは考え方が違うということなのだろうか!? もちろん、そのどちらか一方が正しくて、他方が誤っているということではない。

しかし、そうなると、そうした英語教本にあるパターンを身体に叩き込むと、ラテン語を読み書きするときにはとんでもないことになるだろう。それとも、器用な人ならば、両者を使い分けることができるのだろうか……。

→ そら、使い分けるでしょう。

今後、和声や対位法、ソルフェージュの教員志望者は、ちょうど宣教師がアフリカあたりの教会に派遣されて経験を積むように、非西欧の音楽学校での一定期間の研修を義務づけるべきではないか。なんか、発想が大航海時代以前な感じなんですけど……。

世間に公表しないで、家で一人でこっそり学ぶ、という選択肢はなかったのだろうか。溜めなさすぎ。