憂国の音楽少年あらわる、の巻

http://blogs.yahoo.co.jp/katzeblanca/25186663.html

理論は大筋そういうことになると思うけれど、問題は、第1に、「ゲンダイオンガク(の後継文化)」にとって、どのような市場規模が適性と見積もるか、そしてそれを実現するための事業計画はどのようなものになるか、ということ、そして第2に、そのような事業計画を推進することにメリットがある、と言えるためには、あなたの事業計画と現状とのプラスマイマスを正確に計算しないとダメだと思う。

で、オレがやる、自分で新たに事業を興すなり、企画を持ち込んで業界へ打ってでる、あるいは、「お前らもこういう曲を書け、こういうのが欲しいんだよ」と自分が作品を発表する、というならそれでいいけど、そうじゃないなら、何をやるにせよ、ただちに受け入れなければならない大前提がある。

今現在、作曲や作曲家がおかれている状況は絶望的などん底である、などという言い方はやめなさい。

大学生ならともかく、40過ぎでそんな青臭い失敬なことを口走る奴の言うことに、今現在、作曲で生活し、作曲家を名乗っている人たちが耳を傾けると思いますか、という話ですよ。

作曲家を名乗る人間が、数は少なく、その事業規模は大きくないかもしれないけれども、今現在ちゃんと存在するのであって、何か新しいことをやるとしたら、そこからスタートするわけでしょう。そこを直視しないで、耳障りのいい悲観論に酔ってはいけない。

あなたの主張の一番の問題は、現状認識が現実離れした悲観論であることだと思う。

何に似ているかというと、現状に絶望して憂国のテロを決行するタイプの心性に似てしまっているような気がします。

世の中には、そういう風に煮詰まってる人を上手に操って、「鉄砲玉」として利用するタイプがいるからややこしい。

(本当に煮詰まった人は、そういう他人の忠告には耳を貸さないものだから、言っても無駄かもしれないけどね。)

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そしてそういうタイプが三島由紀夫に惹かれたりするんだよね。
片山杜秀の本6 現代音楽と現代政治──ラジオ・カタヤマ【予兆篇】 (片山杜秀の本 6)

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三島由紀夫は、単に「正直な言葉」を求めただけなんじゃないか、という片山杜秀の解釈で熱を冷まそう。