承前:真空管ラジオと電気式蓄音機、「主なき声」の聴覚文化はいつどのように「誕生」したか?

『メディア技術史』買いました。とりあえず、レコードとラジオの章を読みました。

メディア技術史―デジタル社会の系譜と行方

メディア技術史―デジタル社会の系譜と行方

レコードの歴史では、機械のしくみと形が私は気になるのですが、エジソン式の蝋管やグラモフォンの円盤が世紀転換期に登場したあと、1920年代の「電化」が大きな転換であった、という話は、「クルーナー唱法」のエピソードとセットで繰り返し繰り返し繰り返し、ポピュラー音楽と複製技術の歴史で語られていますけれども、どうも、このエピソードに焦点を当てることで脇へ押しやられたポイントがあるような気がするのです。

「ささやき声」を録音できるようになった、という話は、制作スタジオにおける「電化」の話であって、つまりは、ラッパに吹き込むのではなく、マイクロフォンで集音するようになったことを指すわけですけれども、ポピュラー音楽論が、「生産者中心主義」への異議申し立て、「聴くことの創造性」を旗印にするのであれば、そんな風に「作り手」側の神話的なエピソード(クロスビーやプレスリーのスター性のお先棒を担ぐような)に、いつまでも依存・固着してはいけないのではないだろうか?

(それは、「好きなもの研究」のへその緒みたいなものではないのか(笑)。)

電気式録音システムが実用化されたのは1925年頃からのようで、そこは実際に発売された録音で何が変わったか確認できるわけですけれど、

一方の再生装置の「電化」、つまり、針先の振動を電気信号に変えて、真空管で増幅してスピーカーから発音する技術が実用化されたのはいつなのか。どうやら、同じ頃に使われ始めて1930年代から「電蓄(電気式蓄音機)」の名前で普及した、ただし日本では高級品であって、家庭にアンプリファイされたレコード再生システムが普及したのはLPが登場した1950年代であったらしい(LPは材質が柔らかく針圧を高くできないので、振動の電気的増幅が必須になったらしい)、ということなのですが、そこのところの詳しい経緯が私には気になります。

というのも、「電蓄」は、従来のラッパ(まるで楽器のような形状で、いかにも「音の機械」であることを誇示しているように見える)がなくなって、ラジオとそっくりの形をしているからです。

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出

エジソンの蝋管式蓄音機(に記録された民謡)に生涯耳を傾け続けたバルトークは、アメリカへ渡ってから、隣家の真空管ラジオや電蓄の音に悩まされ続けることになる。20世紀のニューメディアがバルトーク(をはじめとする民族主義)を可能にしたけれども、彼は「電化」以前の、鉱石ラジオや電話のような通信機器とは似てもにつかない、録音・再生も作動エネルギーの点でも自給自足で(だから辺境にもっていけた)いかにも楽器っぽい形状の蓄音機のヘビーユーザーであり、「電化」の流れにはついていけなかったように見えます。その程度には、ここに断層があったということです。
バルトーク:管弦楽のための協奏曲/ムソルグスキー:展覧会の絵(ボストン響/クーセヴィツキー)

バルトーク:管弦楽のための協奏曲/ムソルグスキー:展覧会の絵(ボストン響/クーセヴィツキー)

  • アーティスト: セルゲイ・クーセヴィツキー,ボストン交響楽団,バルトーク,ムソルグスキー
  • 出版社/メーカー: Naxos Historical
  • 発売日: 2000/10/01
  • メディア: CD
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最晩年の「管弦楽のための協奏曲」の第4楽章にはショスタコーヴィチのレニングラード交響曲のパロディとされる箇所があって、彼は、「ラジオから流れてくる」この曲の北米初演を自宅で聴いて、陳腐な旋律の執拗な反復への不満を息子に漏らしたことがあるらしい。

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ラジオ受信機が無線電波を増幅するのと、電気式蓄音機の針の振動の電気的増幅は同じしくみですから、形が似ていても不思議はないようにも思えますが、でも、実際はそうじゃなくて、ラジオのほうは、1920年代に電波をそれぞれの国が管理するようになるまで、自作の機械で個人が送受信の両方をやる「双方向の」メディアであって、その点では、有線の双方向通信である「電話」とのアナロジーで捉えられていたらしいんですよね。

そしてラジオと(電気式)蓄音機が似たものになっていくのは、蓄音機の側に「電化」でラッパがなくなっただけでなく、ラジオの側で送信と受信が分離して、受信機から送信機能(マイクロフォンなど)が取り除かれたせいだと思われます。

1920年代の真空管の登場は、

通信機器(電話とラジオ無線) | 発音・演奏器具(蓄音機と楽器)

という風な道具の配置を、

通信機器(電話) | 受信・再生機器(ラジオと蓄音機) | 発音・演奏器具(楽器)

という風に組み替えたように思えるんです。そしておそらく、最近「聴覚文化」と呼ぶことが好まれて、しばしば複製技術による「聴取の創造性」の議論と結びつけられている領域は、たぶん、この「ラジオ&蓄音機」とその後継機械によって担われているのではないでしょうか?

(この流れが、ラジオ受信機と磁気テープの録音再生装置を一体化した「ラジカセ」から現在の「CDラジカセ」にまで至っている。これなしには、おそらく、20世紀後半の都市のストリートや郊外の大衆音楽文化はあり得ないですよね。)

工業デザインの点でも、アメリカやヨーロッパでは、ラジオが既存の家具と似た形状になっていくことが、この新種のメディアが家庭へ定着することと関連していると見られているようです。

電話という通信機器や楽器という発音・演奏器具は、いかにも、特定の用途のためのツールであって、それに見合った、他の何かとは似ていない形状を保ったのに対して、ラジオと蓄音機は、家具に同化して、家庭へ入ったわけで、そういうインフラ面の条件が整ってはじめて、わたしたちは20世紀の「聴覚文化」を語れるのではないかと思うのです。

メディアの生成―アメリカ・ラジオの動態史

メディアの生成―アメリカ・ラジオの動態史

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そして前のエントリーで書いた「声の主が不在な音声」というヴォーカロイドへ連なるかもしれない問題系、どうしてそういうものを私たちがさほど抵抗なく受け入れてしまうのか、という問題は、この「電気式蓄音機の誕生=ラジオと蓄音機の接近」の先にあるような気がするんですよね。

どこでどうやって発っせられたのか直接的には確かめようのない音響・音声が、他の家具と見分けのつかない家庭内の装置から日常的に漏れ聞こえる状態で暮らすこと、そしてそのような音響・音声の出所(作者)は、いまそこに聞こえている「音・こえ」という結果から遡って想像的に構成・構築するしかないんだ、という体制には既に100年近い歴史がある、ということです。

20世紀の「作品の哲学」が「作者」を実体としてのヒトとは別次元の想像的なものと定位するようになったのは、たぶん、このようなメディア状況があったからだと思いますし、だから20世紀は、「起源」を捏造する動きと「無根拠」のアナーキズムが衝突するプロパガンダ合戦の時代になったのでしょう。

(バルトの「作者の死」というのは、この状況を彼一流のレトリックで書いたにすぎず、ラディカルな言い方ではあるけれども、そこまで独創的ではないと思う。)

それはたぶん、不換紙幣でいいんだ、という理論と、やっぱり兌換紙幣で価値の最終保証をしないとダメでしょう、がせめぎあう世の中だった、ということでもある。

経済学という教養 (ちくま文庫)

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そしてこの争いのなかで、マルクス主義は、実は、最終保証ありの金本位制支持の含みがあり、もはや「前衛」ではいられなくなっていた、という説明は、すごく大事な気がします。

で、ヴォーカロイドが本当に、この状況の「次」への一歩を踏み出しているのかどうか、というのは、私にはまだよくわからないです。

むしろ、本格的に「次」へ踏み出せない過渡期に出現した、暫定的な「憑代」のような気もするんですよね……。

もし、本格的な「次」を象徴する現象として理論を組み立てるとしたら、20世紀流の「聴覚文化」の代表格であるところの家具調機器(ラジオ・蓄音機とその後継)のキモになっている家庭用のアンプ&スピーカーシステムを極小化して、まるで鉱石ラジオの時代に逆戻りしたかのようなイヤホン(配線はパソコンやスマホを介してコンピュータ・ネットワークに接続しているので、制作から受容までほぼ「空気振動」をスキップしていることになる)と、もう一方の、コンサートホールに参集して、スクリーンに投影されるアニメ絵のキャラクターに拍手を送るスペクタキュラーなイベント(ヴォーカロイドが視覚情報と結合する点でもスペクタクル)が、いわば「中抜き」で組みあわされているところが特徴的なのかなあ、と思うのですが、どうなのでしょう。つまり、なるほど「肉体」をもたない「声」ではあるけれども、我々の肉体が生きるのと同じ時空の特定の場所や、そこで生成していることを五感で知覚しうる出来事と紐付けられたことで、彼女がそこに「いる」という共同幻想が成立しちゃってる。それ自体は「主なき声」なのだけれども、キモはそこではなく、三次元世界の共同幻想をその周囲に生成する「仕掛け」として機能したところじゃないかという気がします。

でも、この言い方をしたとしても、コンサートという19世紀かそれ以前を連想させるイベントを必要としているところが、やっぱり「過渡期」に思えてしまうのですけれども……。

つまり、「声の主の不在」という、ヴォーカロイドでしばしば指摘される特徴が露呈するのは、実は、コンピュータ・ネットワークを介した制作・受容回路においてではなく(そこにはそんな風な「亡霊」はいくらでも棲息している)、彼女がそのような誕生の母胎を離れて、コンサートホールへ進出してしまったからじゃないかと思うんですよ。そこをどう論評するのか?

(アイドルという事件・イベントを仕掛けたい欲望に駆動されているからこそ「プロデューサー」指向になるのではないか、とか。)