「嘘なら嘘で、最後まで騙し続けて欲しかった」と偽装を怒る人々の行く末

偽装問題で、告発する大勢の逆に張って大穴を狙おうとするのであれば、「なりすまし」や「いいつくろい」、「必死のその場しのぎ」は、狂言や落語や漫才であれ、コメディア・デラルテであれオペラ・ブッファやオペレッタであれ、ミュージカル・コメディであれ、笑いの基本じゃないか、価値転倒の祝祭、カーニヴァルではないか、ラブレーでバフチンで、ドン・キホーテでゴルドーニで、道化の世界な文化人類学で山口昌男ではないか、蓮實重彦に「結婚詐欺」と言われた村上春樹じゃないか、何が悪い、みたいな論をほとんど見かけないのが不思議だったのですが……、

どうやら今回は、この手が使えないらしい。

なぜかというと、おそらく、今回の偽装騒ぎは、正直者が嘘つきに怒ってるのではなくて、味とかよくわからない「知ったかぶり」であることを重々承知のうえで、一定のお金を払えば、このお店は私の見栄・知ったかぶりをサポートしてくれるに違いないと信じていたのに、そうじゃなかった、裏切られた、という風に怒っているわけですね。

「平成」という時代は、デフレの裏で、あるところには大量にお金がだぶつく状態になっていたことが知られていますが、だぶついたお金を消費者さんがどこで使うかというと、「見栄を張る」ことに使った形跡がある。お金さえ払えば、サービス業はどこまでも見栄の片棒をかついでくれるとわかって、モノを買うより、そうやって「見栄を張る」ほうがよっぽど安全・確実だ、という風な「知ったかぶり」市場がずっと活況を呈していて、それが「格差」の中の上あたりを生きる人たちの「いい思い」の正体だったと見ることができるのかもしれない。

で、しかしながらこのたび、業者さんが遂に、消費者の悪魔のような欲望の膨張に耐えきれずに音を上げた、ということなのだろうと思うわけです。

「私は結婚詐欺にいつまでもだまされていたい」という中毒患者が今もここにいるのだけれども、詐欺師のほうが、もう体が保たないと言って逃げだしはじめた。そういうことなんじゃないだろうか。

マーケットの動きに敏感な村上春樹の次回作が待たれる。いよいよ、私小説が来るか(笑)。