戦争が起きたらパタリとガイジンは来なくなる、でも、戦時中も音楽家は淡々と音楽活動を続けた

……んですよね。以前に朝日会館の情報誌を創刊号から順に読んで、シゲティだ、ケンプだ、ワインガルトナーだ、と賑やかなのが(水面下ではフルベンとBPOを呼ぶぞ計画もあったとか)、1937年でぴたりと静かになって、「南京大勝利」みたいな広告がデカデカと掲載されているのを見て愕然とした。

ガイジン頼みでゲージツやるのは、浮き草みたいなもんです。そしてそれが骨身に染みてる人たちが戦後ゲージツを続けたわけだ。(もう、そういう人はほとんど死んじゃったけどね。そして五月蠅い人たちが死んじゃったからこそ、もういっかい浮かれることができているんだと思うけどね……。人間は懲りない、ということで。)

[ウヨとかサヨとか、実はほとんど関係なくて、ヒトは自分のなかの「バカ」成分とどうつきあうか、という話だと思う。ちなみに、最近は戦争というと「火垂るの墓」らしいのだが、あの小説でウソを書いたことを一番後悔して、ずっと引きずっているのが作者・野坂昭如自身であるということは、彼のその後の執筆を追いかけている人たちの間では比較的知られたことであるらしい。]