節度重要

その1:

そこまで特別なことが起きてはいないだろうと予想がつく演奏を、全身全霊の文飾を尽くして誉めている文章を読むと気が滅入る。

何かの宗教にはまった人が身近にいる場合、こんな感じに精神に堪えるのかもしれないね。「目を覚ませ」というほどの関係じゃないから、何もできない。

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その2:

たまたま年に何度かずつ一緒に仕事をしている人の栄誉に、わがこととしてお相伴にあずかる人は、たまたま年に何度かずつ一緒に仕事をしている人が何か悪いことをした場合にも、わがこととしてケアしてくれるのだろうか。

一見すると現代社会には珍しい「家族的な暖かさ」のようにも見えるけれど(そしてそういう感じにとことんつきあうタイプのマネジメントというのも実在するけれど)、おそらくこのケースはあくまで調子の良いときだけの話であり、都合が悪くなると他人のふりをするような、実際には色々な意味で非対称的で身勝手な人間関係と見るべきであろう。

というか、「有名人になると親戚を自称する人が増える」などと言われるように、他人の名声にあやかろうとする心理が、もっともらしい体裁に収まっているに過ぎないのであって、振る舞い方自体はありふれている。あまりに堂々とやると、「躾がおよろしくないんだろうなあ」という感じがするザマス。

節度は大事。長い眼で見るとね。

ま、そんな中途半端で過渡期的な2013年はもうじき終わる。いっときの泡は、そのつど、こうやって流しておけば、そのうち消えるとしたものであろう。

周囲が手薄な過渡期に全力を使い果たしてしまう人がいるとしたら、その人は結局そこまで、ということになってしまいますよねえ。恐いことですが。

でも、「あわよくば」とのっかてくる人が出てくるくらいのほうが、何も起きないよりは多少なりとも景気がいいのでしょう。本当に景気よく経済成長とかバンバンやっていた時代の興行界の荒っぽさは、話に聴くかぎりでは、こんなもんじゃなかったみたいだもんね。この程度の姑息さは、かわいいものなのかもしれない。