ティツィアーティと音楽団体の名前

その公演は完全にノーマーク。大阪国際フェスティバルの「フィガロ」で、グート演出の舞台とはほとんど関係なく元気いっぱいにピリオド奏法(エンライトメントなんちゃらのオーケストラ)をやっていた若い指揮者さんだったんですね。

ところで、先日のニューヨーク・フィルのプログラムでは、楽団名の表記が「ニューヨーク・フィルハーモニック」(原語表記をそのままカタカナに直した形)で統一されていましたが、

Orchestra of the Age of Enlightenment がエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団と呼ばれて、「僕らは啓蒙時代のオーケストラをやってるよ〜ん」という軽いノリが消えちゃってるのは、例のアカデミー室内管の呪いなんですかね。

原語の名称は直訳すると、聖マーティン=イン=ザ=フィールズ教区アカデミーということになるため、日本語による呼称を吉田秀和などが「誤訳」と批判してきた(同じような例はエンシェント室内管弦楽団の場合にも当てはまる)。しかし事情通ではない人たちにも分かりやすい訳語として、日本語名は一般に定着したまま改められてはいない。苦心の訳ではあるが、誤訳とまでいえるかどうかは議論が分かれる。

アカデミー室内管弦楽団 - Wikipedia

こっちは、二重三重に悩ましく、St. Martin in the Fields という教会の名前自体が日本語になりにくい。ローマ時代にロンドン市街地の外の野原に建てられた聖マルチン教会、「町外れの聖マーチン教会」ってことですよね。今はにぎやかみたいですけれど……。平安京の外れ、祇園の社へ至る鴨川の河原が繁華街「河原町」になったようなものなのでしょうか。

そこのアカデミーが、ロンドンのコンサート文化の発祥だということで、Academy of St. Martin in the Fields なのだから、「町外れの聖マーチン教会のアカデミー」か。(いかにも「音楽の文化史・社会史」なネーミングなんですね。)

ヨーロッパでは、政党や団体の名前に平易な日常語をそのまま使うじゃないですか。「緑色な人々 Die Grünen」(日本で言う「緑の党」)とか。リベラルはとりわけこういうのを好む。思想がリベラルだから、名前も平易であるべき、ということでしょうか。(しかもそもそも、現代の欧米語は、ラテン語に対する俗語として出てきたせいなのか、日本語の今日に至る複雑な経緯のほうが特殊なのか、日本語における「○○県立」のように、仰々しい正式名称にしか使われない語法、というのが今はあまりなさそうですね。宮廷文化華やかなりし頃には、欧米でも、宮廷に献上する音楽(楽譜)の表紙などには、独特の麗々しい言葉遣いの習慣があったようですが……。)

マリナーの仕事も、「町外れの聖マーチン教会のアカデミー」がニッポンにやってきた、だと、聖者が町にやってくる、とか、ハーメルンの笛吹き(中世社会史、阿部謹也!)みたいでワクワクするから、今ならこれでもいいんじゃないか。

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でも、吉田秀和(訳語にいちゃもんつけて話をややこしくする前科は「フォレ」だけじゃなかったみたい)が絡んで、なんだか変なことになっちゃうのが懐かしき昭和音楽の風物だったんですよね。

ヒデカズは、たぶん悪気なく、原語の意味を考えて日本語にしたほうがいいよ、と言ったんだろうと想像しますが、大先生のお言葉をきまじめに受け取ったほうがオオゴトにして、逐語訳しなきゃいかん、できないのなら、カタカナのままのほうがクレームは少ないだろうということで、アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ管弦楽団、とか、書かれたこともあったと記憶します。

(音楽学者が張り切って評論へ進出した1980〜90年代には、「このディスクのカタカナ表記はイタリア語として語尾の変化が間違っている」というような指摘が、レコード芸術の批評にまぎれこんだりしておりましたなあ。)

そうこうするうちに、洋画のタイトルをカタカナのままにするような世の中になったので、もう「啓蒙時代のオーケストラ」は、エイジ・オブ・エンライトメントでいい、「スコットランド室内オーケストラ」はスコティッシュ・チェンバーでいい、ということなのでしょうか。

昨夜はエイジ・オブ・エンライトメントで、明日はゼロ・グラビティ行って、来週はスコティッシュ・チェンバーで、そろそろラ・フォル・ジュルネ・オー・ジャポ〜〜〜ンのインフォメーチョンもチェックしなきゃ、みたいに……脳内のカタカナ含有率が50%を超えたりする。

訳語に歴史あり。

(かつての映画や音楽の興行の人が国内向けにタイトルや団体名を「意訳」したのは、原語直訳だと堅苦しくて日本に流通しそうにないから、かみくだいたんだと思うんです。

でも、このケースで起きているのは、せっかく欧米のリベラルな人たちがわかりやすく名乗っているのに、「こんな名前は企画書に書けない、これじゃあ、いいかげんなものだと思われて補助金・助成金がもらえないヨ」ということなのか、むしろ原語より堅苦しく・仰々しく飾っている。翻訳書のタイトルでも、「学術書」にみせかけようとするときに、しばしばこういうことが起きますよね。

日本の興行・流通が高学歴なテクノクラート(「グローバル人材」の実体はこれだと思う)になりすぎた現実と、ニッポンのクラシックのお家芸かもしれない都市型のハイカラ趣味・舶来趣味が絶妙にこじれたとりあえずの今の光景、という感じがします。

こっちの方面ばかりに人と意識が集中して盛り上がるから、反対側の空き家同然になってしまった一角でサムラゴーチが商売はじめちゃったりするんじゃないだろうか。)

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一つの国や町に似たような名前の団体が多いのは、国内も国外も一緒で、東京なんとか団や大阪なんとか団、関西なんとか団、京都なんとか団のどれがどれなのか、外部の人にどこまで伝わっているのか、考えたら不安ですが、

同じようなことが外国の各都市でも起きるわけで、そのうちのひとつを招聘するときに、担当者が「まぎらわしいから、もうこれからは原語そのままカタカナ表記の決め打ちにしてよ!」と言いたくなるのも、わからないではないかもしれない。

(ここ、詐称のポイントですよね(笑)。ただし、今の興行の人たちは、「壁の崩壊」のあと、90年代に旧ソ連&東欧から、雨後の竹の子のように似た名前の団体が次から次へとやってきたことに懲りているので、今すぐそう簡単にダマされることはないと思いますけど……。)

名前(とりわけ興行団体のそれ)は、役所に登録するIDではなく、お客さんに覚えてもらわないと意味がないから、「啓蒙時代のオーケストラ」とか、ロンドンのコンサート文化の原点に立ち返る「聖マーチン教会アカデミー」とか、そういう名前でプッシュしてくれたほうが、実は団体さんも助かったりするんじゃないのかしら。

(ところで、話は変わりますけど、

匿名か実名か論争はさておき、ツイッターでのみなさまのハンドル名をながめておりますと、失礼ながら「売れないロックバンド」みたいなテイストのお名前を掲げていらっしゃる方が少なからずおられるなあ、ということに昨夜ふと気づきまして、以来、あれは何なのかなあと考え続けております。インターネットはロックンロールなのか。

少なくとも、アルファベットでハンドル名を決めろ、と言われたときに最初に思いつくのは「洋楽」的な何かである、というように脳内の連想が働く傾向があるように見えますね。)

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まあ、ビヨンセ!!ということですが、特典のメイキングで生き生きと語っている脚本・監督のキャラが濃いなあ、と思った。