○○のない××

オジサン・オバサンたちは、子供の頃から「クリープを入れないコーヒー」という言葉をCMで脳裏にすり込まれているわけで、「官能を欠いたコルンゴルト」は、とりあえず普通じゃないというか、コルンゴルトを巡っていろいろな人がさかんに喧伝してきたイメージと真っ向から衝突しているのは間違いないですが……、

「コーヒーにはクリープが必須」などというのは、所詮、クリープを売りたい人が言ってるだけのことなわけで、その周囲に「うんうん、わかる」と同調する人の輪ができるかもしれないけれども、その外側には、何言ってんだ、俺はそんな申し合わせに同意した覚えはないぞ、と考える人もいる。

同様に、「官能ぬきのコルンゴルト」は、全然普通に、あっていいものなのかもしれない。

(「日本初演」って、ボジョレ・ヌーヴォの会みたいなものでしょ、楽しそう〜♪と方々から来た人で賑わっているところに、ものすごいこだわりの一品が差し出された感じがします。)

でもまあ、去年の初夏には、「零戦を設計した人のお話です」と前宣伝して、ところが実際に観たらドンパチの戦争映画ではなくて、しかしそれでも、その肩すかし感を乗り越えて色々なことを発言する人たちが多数出現していたわけだし、リヒャルト・シュトラウスや世紀末芸術をめぐる記憶と期待で頭のなかがいっぱいになったところで「官能ぬきのコルンゴルト」に遭遇する試練は、存外悪くないかもしれぬ。

今の40代、50代を「まだまだヒヨッコだ」と言えてしまうのかもしれない年代の人が本気で考えた結果出すものは、なかなか手強い。

とりあえず、明日もう一度、別キャストで観る。