みなさん、聴き手・聞き役に徹するのは退屈じゃないですか?

反感を買うかもしれないが、フェスタの結果は私にとって少なからずショッキングだった。やっぱりあれを通すんだ、あのパフォーマンスのネタはバレバレなんだけどなあ……、などと思った。

弦楽四重奏とピアノ三重奏は、わたくしもシロウトではない(はず)ですし、こういう演奏だったらこのあたりが審査の焦点になって、だいたいこんな結果になるだろう、と予想できる。

(感想はリアルタイムにノートつけて、自分なりに採点もしておりまして、あとで答え合わせしたら、連日ほぼ予想通りの結果だったので、私の耳は大丈夫だな、と安心した次第。全日程でノート一冊。オボちゃんの実験ノートより、かなり詳しく具体的と思われる。公開はしないけど(笑)。)

フェスタのほうは、お客様のお好みがわからないので、演奏を聴くと同時に、お客様はこれをどう受け取るのだろう、ということも考えて、

この人は音楽家としての能力が高いけど、ちょっと地味かなあ、とか、この人(たち)が安直に受けちゃったら嫌だなあ、とか、さすがにこれはイマイチだってのがバレバレだろう、とか、ひょっとしたら、今でもやっぱりこういうの受けるのかなあ、まあ演奏が悪いわけではないから、それもアリかなあ、とか、ありうべき可能性を色々予想しておりましたが……、

結果が出てみると、

安心安全がなにより大事、とか、こういうものを推したら品位を疑われる、と何らかの制御の気持ちが働いたのかなあ、とか、そういう感じですね。

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20世紀には、アマチュアリズムこそが自由で冒険的で大胆であり、プロフェッショナルのしがらみを打破できるのだ、という論調というか信仰みたいなものがあったわけですけれど、いろいろな巡り合わせで、今回の第一・第二部門のプロフェッショナルな審査と、フェスタのお客様による投票に関しては、それとはちょっと様子が違ったかもしれませんね。

むしろプロの審査員の先生方の判断のほうは、いろいろなファクターが絡み合うなか、必要とあれば「敢えて」のリスクを取ることもためらわない、凡庸・安全だけじゃタメにならん、という果敢で機敏な態度が透けて見えたように思います。アクティヴに動いている感じがある。

西村朗も表彰式の前の講演で言ってましたが、音楽好きの皆さんも、ただ聴くだけでなく、音楽をやって、どんどん舞台に立ったほうがいいんじゃないですかね。一緒に並んでステージに立つことで、音楽家が何やってるのか、色々わかることもあるはず。

「一流」を謳う(目指す)音楽団体や音楽ホールが、そのプライドに賭けて、社会人に音楽活動の場を提供して、こちら側へ巻き込んじゃう、という考え方が、もっとあっていいんとちゃうやろか。

スタッフと音楽家とお客さんが一緒に、まずは有志のサークル活動でいいから合唱をやってみる。目指せウィーン楽友協会合唱団!!

とか、

フェスタの審査で隣同士になったのが縁で、自分たちでもアンサンブルをやってみることにしました、

とか。

どうでしょう?

何かこう、客席で「鑑賞」するのみで、自分で身体動かしてないから判断が守りに傾くのでは、という印象を受けたのですけれど……。間違ってるかもしれませんが。