成果を披露するところまでがコンクール

うまいものを食べることができればそれが幸せ、という人もいるのだろうけれど、こういう風にできないかと考えて自分で料理を作ってみようとする人も世の中には確実にいる。

音楽はなかなか自分でやろうとすると大変ではあるけれど、名曲名盤を選んで繰り返し繰り返し繰り返し反芻するところから一歩踏み出して、これから音楽をやろうとする人たちを手助け・応援しようと思うのは、うまいものを食べるだけでなく作ろうとするのと似ているのかもしれない。

手間暇かかるし、お金と時間と場所と人が揃わないとなかなか難しいことではあるけれども、それなりの条件が整いそうだったら、やらないよりやったほうが絶対面白いよね。

室内楽のコンクールをやるというので1週間いろんなところから人が集まって……、というのも、根っこにあるのはそういうことなのだろうという気がします。

で、一通りやり終えた次の問題は、その一連の工程につきあった者には、それなりの思い入れなりがあるけれども、そうでない人ができあがったものをどう思うかですよね。

同じ団体でも、コンクールの最中に聴くのと、結果が出たあとのエキジビションで聴くのでは、やっぱり若干印象が変わるものだなあ、と改めて思いましたが、それでも、この団体のベートーヴェンの14番は、先入観なしに聴いてもなかなかユニークじゃないかという気がする。私が言うのもなんですが、こういう風にエグ味を(おそらく相当意識的に)取り去って作りあげるアンサンブルは、東京のお客さん、好きなんじゃないかなあ。無色透明というのとは違うのがわかるようになっていると、今夜もう一回聴いて、改めてそう思った。聴いた感じはさらっとしているけれど、でもこれは、天然自然にきれい、というのとは違う。そこが面白いと思う。