劇場と劇団とアンチ・エイジングな音楽論

歌舞伎の座元と劇団の座長の関係がなんともややこしいものだったに違いないことは、座元の名跡と役者の名跡が入り乱れて現在に継承されていることだけからでも容易に想像できるだろう。

ヨーロッパの歌劇場だって、貴族の劇場支配人と、旅回りの劇団と、地元のディレッタントの台本作家と、外国から招かれた音楽家等々が複雑な人間模様を繰り広げており、だから歌劇場は伏魔殿だと言われるのだと思う。

もっと一般化して、実際に物理的な劇場をもっている人・組織の事情・ミッション・利害と、劇場の舞台に立つ人・団体の事情・ミッション・利害が必ずしも常に合致しているとはかぎらず、緊張・対立・協力・支配被支配など、さまざまな関係が動的に織りなされるのは、異常事態というより「いつもの見慣れた風景」なのだと思う。

たまたま、自分の知っている外国の事例のいくつかでは劇場のオーナーor管理者の力が強く、一方、やはりたまたま自分の知っている国内の事例のいくつかでは、逆に、上演団体の意向が表に出ていることが多い、というようなことがあったからといって、そこから一足飛びに、「日本はこうだが、外国に学んで、もっと違う風になるべきだ」などと俗流日本人論のフォーマットで提言するのは、まことにくだらないことだと言わざるを得ない。

もし、アーツ・マネジメント論なる分野が、この種の恣意的な提言で物事を動かしたい人士の巣窟になっているのだとしたら、それは、悪い意味で「政治的」だ。

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これは経験則でしかないけれど、社会で問題・話題になりつつある事案が「学問」の装いにまとめあげられつつあるような、学問上の新分野の創生期・黎明期には、しばしば、こういうタイプの口舌の人が出てくるようだ。

それは、ひとまず、そういうものだと受け流すしかないのかもしれない、とは思う。

でも、日本が戦後音楽学というのを学問分野として立ててたあと、まず、民族音楽学(西洋音楽だけやってちゃダメよ)が出て、次に、ポピュラー音楽論(高踏的な議論ばっかりやってどうする!)が出て、音楽療法が(ブームは短かったけれど)登場して、今度は音楽マネジメント論が……、という半世紀の動向をみていると、

新しい「分野」が出てくるたびに、どんどん、過去に遡って具体的な事例を調査・検証・参照する度合いが下がっているのはどうしたことなのだろう。

実は、この動向を支えているのは知的好奇心ではなく、過去と決別したい欲望、めんどくさい古典音楽(西洋であれ東洋であれ)なんてやりたくないし興味がない、という永遠に子どもでありたい願望、「永遠の若さ」への止みがたい憧れみたいなものなんじゃないかしら。

人間の業の深さみたいなものに、「学問」の皮をかぶせても、長続きはしないくらいのことは、実はやってる当人もわかってるはずだと思うんだけどね。