一昔前のアイリッシュバー

日本のカルスタ・ポスコロが攻め込むべき領土がそこにある。
アイリッシュバーに通う女性たち(日本人)と男性たち(ガイジン)で映画が作れそうだ。

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クラシック音楽系作曲家のなかでは「土着派」に分類される伊福部昭(今年で生誕100年)や大栗裕が、むしろこの世代としてはハイカラな人たちだった、というのと平行して考えるとよさそうな案件であるように思いました。

伊福部が、欧米純血種を尊ぶクラシック関係者にとって近寄りたくない存在に思えてしまうのは、そういう人たち(他人事ではない)のやっていることが、意識としては「欧米でそのまま通用する世界の共通語・共通文化」なのだけれど、実態としては、そういう意識の持ち方を含めて日本の歴史や地政学に絡め取られているのをあらわにする事例だからだと思う。

温室で貴重な外来種を育てるためにあれやこれやと特殊な工夫を凝らす(音楽で言えばコンセルヴァトワール系おフランスなど)というのと、極東の風土で育つ改良種を開発する(映画でもバレエでも洋楽が活かせるところにはどこへでも入っていく在野の土着派)というのは、当人たちが思うほどには違わない。どっちもしばしば、現れは違うけれども「これが日本のためだ」という使命感をもち、かなり特殊な情熱に駆り立てられて、音楽に特別な関心のない第三者からは同じようにハイカラに見える。近親憎悪なんですよね。

(だから両者は、ちょっとしたきっかけで、ゴーストの人とサムラゴーチみたいに近親憎悪が相思相愛のパートナーシップへ反転した蜜月を過ごすことにもなったりする。石原慎太郎と武満徹(=湘南の太陽族とルサンチマンの塊な男)も、一時はかなり近いところにいて、欧米志向と土着志向が霜降りのようにそれぞれの中でまだらに絡み合って、全体としてはどっちもシティ・ボーイですよね。)

幕末鼓笛隊‐土着化する西洋音楽 (阪大リーブル037)

幕末鼓笛隊‐土着化する西洋音楽 (阪大リーブル037)

そしてこの種の近親憎悪が発生しうる領域へ踏み込んで成功する学者の多くがイケメンなのは、偶然ではないように思う。

批判とか、やっかみとかじゃなく、日本のカルスタ・ポスコロは、モテ系男子が悪びれることなくやれる数少ない分野だということを吉見俊哉が発見して、その系譜が今日まで続いてるんだと思う。モテ系でなければ、そこへ踏み込んで、のぞき見ることが難しい世界というのがある(あった)んだよ、たぶん。(インフォーマント(という野外科学の用語すら使わずにすむところを含めて)との距離感とか、奥中くんだからしなやかに物事が進んだんだろうなあ、と読みながら何度も思った。)

だったらそういう人らが率先して踏み込んで、レポートしてくれたらいい。そのレポートはみんなの役に立つんだから。