眩しさの発見

ラヴェルやスクリャービンの音楽に先立って、ターナーは、太陽を直視する絵画表現の嚆矢とされるようだが、そのように光源を直視する眩しさの体験は、さらに遡って、おそらく、電気照明の出現なしにはあり得なかったのではなかろうか。

蝋燭の炎やガス灯は、目がつぶれそうなほど眩しくはなかったのだから。

しかしだとすると、宗教的存在の八方を照らす後光の力を感覚的に知覚する(できる)という発想もまた、ここからたぐりよせるようにして19から20世紀に再発見されたことになるのかも。少なくとも西洋人にとっては。