ト書きの役割の変遷

演出における設定の読み替え(の起源を探る)というような話を学問としてやるとしたら、ト書き(台本or総譜に記される文字列)が何を想定して書かれ、上演(再演・巡演)をどのように拘束したか、しなかったか、そのあり方がどのように変遷しているか、とやっていくとよさそうな気がする。

そうすれば、テクスト(文字列)から出発できるし、個々のパフォーマンスやそれを支える制度的・文化的・技術的な諸々はそれを読み解くコンテクストと位置付ければよくなり、人文科学の枠組みにうまくはまるはず。

どの演目でも同じセットを使い回していた時代(その前提で、ト書きは、設定を個別化するのではなく、在庫からどの装置セットを使うかの指標であった時代)が一方の極になり、もう一方の極点に昨今の「読み替え」、「もはやト書きは賞味期限が切れているから、台詞のように字義どおりに受け止めなくていい」というコンヴィチュニーの立場を位置づけることができて、論の筋立てが明快になると思う。

台本や総譜がドラマの設定を詳細に特定、個別化しており、初演などの実例が規範になる、なんてのは、演劇としてはかなり特殊なんじゃないかと予想してかかるほうがよさそうに思う。

そこは、大道具さん(とデザイナー)がうまくやってくれる領分だったわけだ。