いつも心にウディを

「マクルーハンが動いてしゃべる姿を見れるヨ」とか、

「刑事コロンボの1970年代ロサンジェルスが、ニューヨーカーにはこんな風に見えるんだ」とか、

茶化して終わりにするのは、やっぱりダメなんでしょうね。

アニー・ホール [DVD]

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ウディ・アレンって、今までまったく縁がなかったというか、みたことがなかったんですよ。

頃合いかなと思って、48歳にして初見ですが、初めてなのにものすごく既視感がある。ああ、あれはそういうことだったのか、と思い当たることの連続と申しましょうか、80年代のトーキョーには、「いつも心にウディを」な感じの人たちがたくさんいたんだろうなあと今更ながらに思った。ウディ・アレンを知らなくても、そういう「いつも心に」な人たちの姿をあの頃メディアを通してたくさん見せられていたような気がしましたです。

で、当時の「意識が高い人」(←70年代に現行の「ヤンキー」の語がなかったように、80年代ニッポンに「意識が高い人」という言い回しはなかったけれど)が、世紀末ウィーンのユダヤ人、マーラー、フロイト、ヴィトゲンシュタイン云々、というのを偶像視したときには、心の中に、都会のユダヤ人=ニューヨークのウディ・アレン、みたいな連想が働いていたのかなあ、とも思った。

(いつまでもベートーヴェンじゃなく、これからはマーラーだよ、というのは、そんなノリを背景にしているような気がしてきた。)

エコノミック・アニマルで海外へ進出する日本人はユダヤ人的だ、みたいな言い方、ありましたもんね。

そんなことに今頃気づいてどうするんだ、という話ではありますが、この映画みたいに自在に時空を飛び回ることができるんだったら、80年代の大学生の白石君に、今アイツがああいうこと言ってるのは、こういうことでね……、と教えてあげたいかもしれない(笑)。

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DVD見終わって、タバコ吸いにベランダへ出たら、きれいに晴れて、月が一面を照らす明るい夜でございました。

ロールモデルはウディ・アレン、というのも楽じゃなさそうですよねえ。心の健康に気を遣い続ける人生みたいだし。

幸か不幸か、ここに出る月は、ヘロデの庭の赤いのではなく、ピエロの心を惑わせるわけでもなく、だいいち、ウチは、都会から電車やバスを乗り継がないと帰ってこれない山の中だが。