リフシッツってどこで聴いたんだっけ、と思ったら、樫本大進とデュオをやった人ですね。
あのときは、豪放なピアノを合気道みたいにヴァイオリンが上手にかわしてましたが、今回はピアノが自ら大爆発。きっと悪魔か何かにたぶらかされたんでしょう。最初のエマヌエル・バッハのファンタジアのときに、ピアノの後ろに「何か」が潜んでましたが、「あれ」がすべての元凶ですな。
「ヴァイオリンは影です」とか、どこかの優等生ピアニストを見習ったんです、とか言ってたようですが、そんなシオラシイ言葉を簡単に信じてはいけません。なにしろそれを言ってるのは、この世のモノならぬ存在なんですから。
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悪魔にヴァイオリン持たせたら何が起きるか、「兵士の物語」でみんなよく知ってるわけじゃないですか。
最近では、悪魔がヴァイオリンだけじゃなくヴィオラ片手に舞台に上がって、花嫁姿のアガーテといとこのエンヒェンをキュートにたぶらかしたりもするのだから、世の中、油断なりませんよ。
ピアノの後ろのコパチンスカヤは、コンヴィチュニー演出のヴィオラの可愛い悪魔とよく似ていた。鍵盤楽器を誰もいない部屋で孤独につま弾いているはずのエマヌエル・バッハの「私」がどんどん迷走していくのは、悪魔にたぶらかされているとしか思えなかったもの。ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」Op.77(独語歌詞) [DVD]
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しかしまあ、泉の精として舞台の前のほうに出てきたり、コンサートの後半では、骨と皮だけの死神みたいな音で忍び寄るかと思えば、ヴァイオリンをロシア正教の巨大な鐘のようにかき鳴らして何かの儀式のようなことをやり始めたり、あっちの世界の存在は神出鬼没ですね。
のど元に匕首を突きつけるとか、最高に美しい笑顔でキュッと相手の首を絞めるとか、そんな感じに直接迫るタイプの音楽なので、たぶらかされる役回りのピアノは、美しい残響を会場全体に香水のように振りまく都会系じゃないのが正解かも。乾いたタッチで地響きがしそうにゴツゴツしているほうが、このプログラムではよかったのかなあ、という気がします。
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それにしても、シェーンベルク75歳の作品があれほど獰猛なのは、いったいどういう若返りの秘術を使ったのかと思ってしまいますが、
大阪ではアンコールにクロイツェルの終楽章をやって、ピアノがリフのようなつなぎのフレーズで油断して緩みそうになると、馬の脇腹をポンと蹴飛ばして活を入れる感じに、次のフレーズをさっさと弾き始めちゃう。ハードなスピード感は、昔のホロヴィッツの録音を聴いているみたいだった。ピアノとヴァイオリンで楽器は違うけれど、やるときはやる、容赦しない人ですね。
そうかと思うと、猫なで声でしなだれかかるようなフレーズをピアノのほう向いて弾いたりするわけですから、共演するほうも大変だ。
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コンサートが終わったら、聴いてるだけで何やら色々なものを全部吸い取られて精根尽きた感じでしたが、ロビーに降りると、サイン会の順番待ちで、このホールでは見たこともないような長蛇の列ができていた。
なるほど、今どきのニッポン的には、彼女は「接触系ヴァイオリニスト」なんですね。裸足だし。
総選挙でセンター取れそうだな(笑)。
自分らしさを貫くから同性の支持も集めそうだし、こういうことを20世紀前衛音楽のフィールドでやっちゃうから、ストラヴィンスキーやバルトークに軸足を置いて「現代社会における芸術」を考えたい知識人の心をもわしづかみにする。オジサン・オバサン対策は万全、盤石っぽい。
↑プレトークで伊東さんが言ってたママ(Emilia Kopatchinskaja)とパパ(Viktor Kopatchinsky)。ヴィクトル・コパチンスキのツィンバロン演奏はYouTubeにたくさんあって、レパートリーもフォークロアだけでなくかなり広そう。梨園の娘ですね。父親が勧進帳の弁慶に命を懸けつつラマンチャの男で歌って踊る人であるところの松たか子とか……。その意味で、この人、「アナ雪」成分も入ってますな。