若き同時代人の「肩に乗る」

……というようなことを考えたのは、ベートーヴェンの晩年のAs-durのソナタ(op.110)がウェーバーとか初期のシューベルトのように響くのはどういうことか、と改めて考えたからです。

E-dur(op.109)の最後は変奏曲で、As-durの最後はフーガなので、後者のほうが古典とバロックの融合っぽく見えるかもしれないし、小菅優はちょっと読み違えていたようだが、むしろE-durは、オルガン的(バッハ的)な書法のピアノ音楽として一本書いてみようとしたんじゃないかと思う。つまりあれは「プレリュード、トッカータと変奏曲 ホ長調」とでも呼ぶべき曲なのではないか。

そしてこの発想が、ピアノソナタを一段落させたあとの弦楽四重奏につながっているのではないかと思う。

適切に鍵盤を操作することで複数の「声」が絡み合う音楽であり、演奏者は、自らの思いを表現するというよりも、絡み合う「声」の成り行きに立ち会う、そういう音楽だと思うのです。

(だから、作為的に演奏効果を研ぎ澄ましたり、得意の気合い一発の盛り上げ、では上手くいかない。小菅さん、平均律をもう一回勉強されるといいんじゃないかと思いました。)

一方、次のAs-durは、小菅の演奏もそうだったけれども、最初のところから、明らかにピアノの響きが違うわけです。プログラム解説によると、彼女は「モーツァルトだ」と言ったらしいけれど、確かにそういう音で演奏されていた。

で、それはどういうことかというと、E-durがバッハで、As-durはモーツァルト、オルガンとは違うフォルテピアノの音楽の道をウィーンで切り開いたベートーヴェンの直接の先輩の路線で一曲書こうということではないか。

だから、おふざけ的な民謡のパロディや、多感様式風の嘆きの歌が入るのではないか。そして最後のフーガは、オルガンでは実現できないフォルテピアノのためのフーガという自負で書き上げられたのではないか。

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と、以上は予備的な考察でありまして、さてしかし、このAs-durのフォルテピアノ的な書法は、さすがにモーツァルトだけではないとも思うわけです。

パっと聴いて、ひょっとしたらウェーバーのAs-durソナタはこの曲の冒頭をパクったんじゃないかと思ったのですが、実際には、ウェーバーのAs-durソナタは1816年作曲で、ベートーヴェンのAs-durは1820年代の作品ですから、ウェーバーのほうが先行しています。(そして「普遍音楽新聞」と訳すべきなのかもしれないAMZで、d-mollソナタと一緒にロホリッツに絶賛されています。)

コンチェルトにおける「ポスト・ベートーヴェン時代」(小岩信治)は、主として1820年代の作品について言われていましたが、ピアノソナタにおいては、華麗なヴィルトゥオーソの時代がもう少し早く始まっていたのではないか。

そして1820年代のベートーヴェンの後期ソナタは、「若き同時代人の肩に乗った」のではないか?

つまり、19世紀のピアノソナタの歴史的推移は、コンチェルトよりさらに複雑に捻れているんじゃなかろうか、と思ったんです。

そしてこれを言うためには、おそらく「若者の肩に乗るベートーヴェン」を検証しないといけないと思うのです。

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20世紀に入ると、ドビュッシーがラヴェルを苛立たせたり、そのラヴェルがガーシュウィンをパクったり、ストラヴィンスキーがシェーンベルク風というよりウェーベルン風な点描の十二音を試したり、新音楽の「新しさ競争」では、しばしば「老人が若者の肩に乗る」が起こったと見ることができると思います。