アナリーゼは対話で進む

岡田暁生が遂にアナリーゼの本を作った。

すごいジャズには理由(ワケ)がある──音楽学者とジャズ・ピアニストの対話

すごいジャズには理由(ワケ)がある──音楽学者とジャズ・ピアニストの対話

彼は今更いうまでもなく豪奢な文化資本を授かって育ったお坊ちゃんで、

一方でガリ勉的に猛勉強する人でもあるから学者になれたところがあって、ジャズについても、がむしゃらに短期集中に猛勉強したのであろうことがわかるわけですけれども、

それでもやっぱり、生まれたときから身の回りにたくさんのものがあって、それを順番にアウトプットしている感じなのは否定できない。

発展 develop という音楽用語でもある言葉があって、ジャズにもモチーフの発展があるんだ、というのが本書のひとつのテーマになっていますが、この発展 develop という言葉は、包み(velop)をほどいて、中身を開くことなんですよね。

(そしてその反対に、包む・梱包するのが、封筒を指す言葉でもあるenvelop。)

岡田暁生の仕事は、オペラ、ヴィルトゥオーソ、18世紀と19世紀の2つの世紀末、という感じに広がりがあるけれども、それはほぼ全部、学生の頃には既に彼自身が手中にしていたもので、そもそもすべてが何らかの形でシュトラウスの「ばらの騎士」と絡まるようになっていますし、そういう風に身についたものを順番に開いていく人生、語の本来の意味での development の人なのだと思います。

で、随分前から、アナリーゼの本を書きたいらしきことを言っていた記憶があるのですが、それは実現しておらず(『音楽の聴き方』という本も結局そういう方向とは違うものだったし……)、包みを開くことなしに終わるのかなあ、と思っていたのですが、

こういう形になるとは、予想外だったけれども、本が出てみると、なるほど、と納得した。

音楽分析の本は、基礎から応用へ手取り足取りやり方を説明する教科書になるか、さもなければ、学びとは模倣・まねびである、という感じにひたすら分析例を並べるか、たいていどちらかの体裁になると思うのですが、

たぶんどちらも、彼にとって、何かが違うのでしょう。

音楽のアナリーゼは、師匠と弟子の対話のなかにある。師匠と対話を成立させることができれば、アナリーゼは免許皆伝なんですよね。これができたら何級・何段みたいなカリキュラムを順番にこなすわけじゃないし、アウトプットを○×で採点するものでもない。

昔シルヴァン・ギニヤールのところへ通ってクラシック音楽のアナリーゼを学んだように、今度はフィリップ・ストレンジからジャズを学んでいる。それは同じ歩みなんだ、ということで、うまく、音楽のアナリーゼという包みを開くことに成功したみたいですね。

音楽に直接触っている姿を見せるのって、難しいことですからね。

いい企画なんじゃないでしょうか。