「再現実験の中身を見ていただければ(捏造ではないと)分かる」
「僕たちはSTAP細胞を一生懸命作って最後は住民の判断を仰ぐ。STAP細胞を作るにはこの手段しかなかったという説明をこれからやっていく」
「都構想の議論の中身を見ていただければ(法律違反ではないと)分かる」[……]
「僕たちは協定書を一生懸命作って最後は住民の判断を仰ぐ。協定書を作るにはこの手段しかなかったという説明をこれからやっていく」[……]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140715/waf14071513010022-n1.htm
「ないもの」「望まれてはいないもの」を作ろうとして、その一生懸命さだけをアピールされても困る。
まさに画期的な「無からの創造」を装ってはいるが、その正体が何なのか、「案ずるより産むが易し」の格言を忘れてはいけないとは思うけれど、これはそういう案件ではなさそうだ、ということに、みんなもう、薄々じゃなく気づいている。
「誕生」は、できることならば、周囲の人々に祝福される幸福で晴れやかな出来事であってほしい。そう願うのが人情です。
そして「創造」(という言葉は強すぎるから、「制作 poiesis」と言うべきか)の本家、アートの世界は、結果ではなくプロセスにこそ価値がある、一生懸命必死な形相、青春の輝く汗が感動を呼ぶ、という紋切り型を乗り越えようと模索して久しい。→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140714/p2
(あ、そうか。そういう知恵者の集まる領域だと直感的にわかっているから、五月蝿い奴らの口を封じようとして、彼らはまっさきに文化を攻撃したのか!)