「アンタはエラい!」

[改題、追記あり]

「この人、また、こんなこと言ってるよ」

とか、

「ええ、そこで、そういうこと、するかなあ」

とか、

人間というのは、基本が愚かだから色々ある。

人間界の掟として、筋の通らないことを言ったりやったりすれば、つっこみが入るし、次から次へと、面倒なことも起きる。

で、それはそれとして、アホが集まってワアワアやっているその場で鳴っている音楽は、立派なものであったり、様々な刺激を与えてくれるものであったりすることがあり得る。

この2つは別の事柄であって、いい音楽をやってればヒトの掟をぶっちぎっていいというものではないし、変な人が関わっていたり、わけのわからない言葉に取り巻かれていたとしても、そんなことを気にせず音楽を受け止めることは、たぶん、不可能ではない。(できれば周りが整然としているほうがありがたいけれど、贅沢は言うまい。世の中には色んな種類のアホが至るところにおる。)

……というようなことを、マゼールは言ったんだね。たぶん。

「何が正しいかということが大事なのであって、誰が正しいかということは、二の次です」

OTTAVA - 【ロリン・マゼール追悼】 こんばんは、林田直樹です。... | Facebook

つまりこれは、そんな風に「正しいこと」をやったりやらなかったりしながら、相も変わらず口々に「オレが正しい」と言い張ることを、人間はそう簡単に止めるもんじゃない、ということでもある。

最後まで、煩悩具足がワアワア、ガヤガヤ騒ぐ現場に立ち続ける指揮者だったですね。

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ワアワア、ガヤガヤした昭和の芸能界に、「アンタはエライ!」とひときわ甲高い声で相手を持ち上げることで句読点を打つのが芸風だった小松政夫と、ワンセットにして考えるといい人なのかもしれない。

ニッポンの芸能界はこの一声で相手の足を止めることができたけれど、国際オーケストラ市場は、なんといったって「容赦なく7点」(トラウマ)の国が牽引して作りあげたものですから、相変わらず余人をもって代えがたいスーパーマンを演じ続けないと指揮台に立つことができない強迫観念がつい最近まで支配的だった……ような気もする。

(「つい最近まで」じゃなく今もそうだ、と、スカウトマンがスーパーマンを求めて、極東や中南米まで足を伸ばす事実があったりもするし……。

ただし、そういうイメージを振りまきつつ、ちゃっかり体質改善して、スリムに総合力を高めたほうがいい流れになりつつあるようには思うけれどね。つまり、スーパーマンを演じることがカリカチュアになりつつあって、チームにうまくはまることのできる人が各地に呼ばれているように見える。「凱旋公演」をやると、相変わらず、指揮者に焦点を当てて報じられるわけだが。)