初日、離陸

……ということでトラヴィアータをみっちり勉強する10日間がやって参りました。

この日を万全のコンディションで迎えることを最大の目標にして1年を過ごしてきたようなものなので、待ちに待ったしあわせな時間でございますから、ここからしばらく、世間のことはもう知らん(笑)。

(若干積み残した仕事があるので、合間になんとかやらねばなりませんが、こちらもどうやら目処が立ってきた。)

とりあえず、「乾杯の歌」の第3節(コーラスがあのメロディーを歌うところ)は、譜面をみると歴然としていますが、合唱の成り行きが、なんか妙ですよね。岩田達宗さんもそこに着目していましたし、演出家は、さて、これをどう解釈しようか、と思うものなんでしょう。

コンヴィチュニーの「てめえら人間じゃねえ」という風な社交界の描き方も、たぶん、このコーラスの譜面を最大の手がかりにして、ここを説得的に見せるにはどうするか、というところから逆算して、それが全体に波及するように組み立てられている気がしました。

いや、しかし、そんな社交界を全部まとめて退治してやるって感じのヴィオレッタは強い。余命あとわずかなので、押し返されると負けちゃいそうになるわけですが。みていて、頑張れって応援する気持ちになってくる。

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これまでのワークショップでも(といって過去4回のうち2回しかみていないので、お前が言うな、という感じはあるかもしれませんが)、ゼロからひとつずつパーツを組み立てていって、その歯車がかみ合って稽古が動き出す瞬間、ぱっと何がどこへ向かおうとしているのか見える瞬間があったと思うんですよ。

アルフレードを受けて、切れ気味にヴィオレッタが乾杯の歌の2節目を歌ったときに、おお、離陸したっていう気がした。

お姫様じゃなくてカルメンなんですね、このヒロインは。

(それにしても今更ですが、慌ただしい流れのなかで、ひと続きのメロディーを割るような形にヴィオレッタやフローラの会話がはめ込んである冒頭部分の書き方は、会話をオーケストラのメロディーとは別の層に分離して浮き立たせるプッチーニとは全然違って、不思議な感じがしますね。こういう書き方を受け継いだ後世のオペラ作曲家っているのだろうか。プッチーニは、近代的な台詞だけの劇というのが既にあって、それとメロドラマにならざるを得ないオペラの手法の折り合いをつけようとしているけれど、ヴェルディは、メロディーを書いてしまうし、書かないと他にやりようがないところで、無理矢理もがいて、人物のキャラを立てようとしているような印象がある。)